アダム徳永の女神覚醒アカデミー

エヴァセルフラブ秘儀レポート

女性が女神として覚醒に至る秘儀のレポートです。

西田春子さん(仮名)/ 45

1日目
アダムさんからの、秘儀エネルギー伝授での凄まじい感覚を忘れないうちに、と思い、講座終了後、ホテルで初日。1回目講座受講後から、セルフラブを続けるうちに、セルフなのに、腰や脚がガクガク、全身にエネルギーが巡る感覚が広がるのとは反比例して、自分の子宮が、あまりに重く、微動だにしない。沈黙の塊の輪郭が、はっきりと際立ってきて、呼吸が入っていかない感じに、落胆しつつの秘儀。氣光天で、自分の肌の境界線が薄くなり、空間に溶けてしまう感覚になりつつ、パールに触れ始めるけど、やっぱり、子宮が固い。

秘儀伝授前は、ひたすら、「気持ちいい」と感じていいと、許可を出し続けていました。わたしは、どこか、快感もオーガズムも、自分のものではなく、まぐあうパートナーのためのもの、という感覚が常にあって、淡い快感だけが続くと、イケないことに焦ってしまいます。なので、どんなに時間がかかっても、根気強く、許可を出し続けようと決めました。秘儀初日も、やっぱり、根気が必要でした。自分が、自分のためだけに、エネルギーを集中させることに意識が向かう割合が、徐々に大きくなっていき、100%を越えたところで、子宮が大きく動き、イクことができました。秘儀を始めて、浮かび上がってきた最初のテーマは、冷えて固まったマグマの岩盤層のような子宮と繋がり続けることです。

2日目
かなりの睡魔に襲われつつ、やり続けると決めたこと。を尊重する2日目、深夜3時。隣で夫が寝息をたてているので、氣光天瞑想で、自分だけのフィールドに入るも、少し干渉してしまう。昔、瞑想を続けていた頃の感覚、自分の肌の境界面が、部屋いっぱいまで拡張したり、壁を越えたりする膨張感が、ふとよみがえる。けど、氣・光・天のイメージングが、リアルには程遠い。そして、やっばり、クリトリスと子宮の繋がりが切れている感じがする。わたしに、ありがとうを指先から送って、閉じたけど、その後お尻を出したまま寝落ちしました。

3日目
身体がずいぶんと重いけど、寝起きにしかチャンスがない。布団に座って、呼吸法を始めるけれど、もうちょっと楽な体勢を研究しよう。環境面は、娘たちの引越しが済んでからの課題。薄々気づいていたけれど、氣光天瞑想の時の、呼吸とイメージングが、自分の中で、合ってない。そもそも、子宮に天からのエネルギーが、たまっていくようなイメージに、子宮が拒絶反応を出している。昨日、この岩盤層は、溶かしたり、割ったり、なにか柔らかくするようなものではなくて、「振動を意識する」「振動をおこす」というアプローチがいるんだ。と、ふと思った。すると、自分ではとてもじゃないけど扱いきれないような、大きなエネルギーを感じて、それでも、今世は、このエネルギーを扱うっていうテーマを持って生まれてきたな、と恐怖とワクワクを一致させた。と、震わせる、バイブレーション、とかのキーワードを思い出しつつのマスターベーションを始めるけれど、やっぱり、どうにもこうにも、頑なな拒否感。

第2第1チャクラ周辺で、エネルギーのルートが遮断されているような感覚。そっと、クリトリスだけではなくて、女性器に手を当て、暖かさで包むようにイメージしてみる。「我は神なり」。この言葉が、そもそも気に入らないらしい。氣光天をすればするほど、イメージングが遠くなっていき、胃の下から硬くなって、暗くなっていたのは、この“怒り”のせいみたいだ。どんなに呼吸法をして、「我は神なり」と繰り返しても、頭でばかりぐるぐるして、分離感ばかりが強くなってきた。相対させて、片方を否定することで、分離を創ってきたことへの、深い悲しみを、もう一度、感じなおし。寄り添う。涙があふれる。

夫は、山仕事で、木を切るとき、山の神に挨拶をし、現場に入る前には、御神酒やお塩を供える。その山の神というのは、醜女とされていて、ちゃんとした挨拶のときには、祠に向かって、ペニスをチラッと見せる、という風習がある。そうすると、女性である山の神が喜ぶから、と。今は、秘儀に取り組み始めた、今この時は、神のひとつの側面だけを切り取って、分離させてきたことを、自覚する時なのかな。わたしが取り組みたい、大きなテーマ。封印されたり、まつろわぬ者たち、鬼や穢らわしいとされてきた神々の、原初的なエネルギーを、まずはわたしたち女性が取り戻すこと。これを、自分の身体で取り組むわけなので、ひとつひとつ丁寧に向き合うしかないな、とまたひとつ覚悟。

4日目
娘の引越しで、早朝から深夜まで、ぶっ通しの運転と作業で、状況も整わないので、寝袋の中で、氣光天瞑想をし、天に、明日再開の意図をあげて、即寝落ち。とはいえ、秘儀を始めてから、秘儀の時間だけでなく、四六時中、なにがしかの変化が起こっていて、家族と日常の激動とリンクして、心も身体も、体感が激しい。アダムさんが、講義でウンコに感謝のお話をされていたけど、ネイティブのハワイの方たちに伝わる古式ホ・オポノポノでは、大きすぎるネガティブな感情は、天に上げるのではなく、魂が宿っているナァアウ(内臓)に消化をお願いして、飲み込むのだと教わった。

秘儀3日目に、出てきた、大きな怒りは、これまで上げてきたはずの、それでも未消化、未昇華のものが沈殿して出来た塊かもしれない。もう、手放します。そう、前日に宣言していた。それでかいなか、引越し作業中に、激しい腹痛。近くのコンビニで、出た感半端ないウンコ。夜にまた、そのコンビニに行ったら、トイレ故障中!!で、確実にウンコ以外も出しちゃったな・・・と、ちょっと反省と感謝。休む間もなく、子宮の輪郭がはっきりわかるような、排卵時痛と、張りに変わり、矢継ぎ早に手放しが起こっている。

初めての妊娠、お腹の子が女の子だとわかったタイミングで、極々近所で、4歳の女の子が、性的悪戯で、子どもが産めない身体になってしまったという事件があった。布団に潜り込んで、お腹を抱えて、恐怖でガタガタと震えた。自分はどうとでも生きていけるけど、こんな世界に、わたしは生命を産み出そうとしているのか・・・??と思うと、怖くて怖くて、無意味とわかっていても、気持ち必死でカウンセリングをしていた。

自分の無意識層にある恐れが、現実化してしまう。それが怖くて仕方なかった。自分が変わらなければ、世界も変わらない。アタマでわかっていても、セックスにまつわる恐怖感は、これまでちゃんと触らずに来てしまった。と言うより、秘儀でなければ、本当の意味で、触れられないのかもしれない。怒りは感情の蓋。起こり続ける解放を信頼しよう。

ということで、自宅に帰れたのも深夜、布団に入ったのは朝方だったけど、今日は横になって、氣光天瞑想。グラウンディング強化の直感に従って、ひたすら、地球の中心と繋がる。
すると、尾てい骨、仙骨、股関節あたりに、エネルギーが行き渡るのが感じられ、ちゃんと、天からのエネルギーが、地球センターに自分を通して流れるのが、わかった。そして、冷えている子宮あたりの下腹部を、しっかり手当てして温めた。ジョイパールに優しく触れて、ただただ、ありがとうを伝えたら、なんとも言えない安心感に全身が包まれて、秘儀4日目を終えた。

5日目
深夜寝る前の秘儀。氣光天瞑想は、納得のいくまで、それぞれの「われはかみなり」を、やってみる。グラウンディング。10呼吸ぐらい。トーラス。6呼吸ぐらい。一つ一つをしっかり繰り返すと、わたしの場合、エネルギーを感じやすいことがわかった。子宮の張りは、なくなっていて、秘儀ができること自体が、今日は嬉しい。

今のところ1番気持ちいいと感じる、手と顔をアダムタッチ。でも、そもそもなのだけど、わたしは、アダムタッチに苦手意識がある。毎年夏以外は、手指がガサガサトゲトゲで、触られ心地が悪く感じてしまって、エヴァ3期メンバーに決まった時点から、なにに必至だったか?って、手指のケアだった。なんとか、引っかかりがない状態まで、ケアが出来るようになってきたけど、右手で始めたタッチ、ふと、その右手を、愛したくなって、今日は労うことにしてみた。右手を細部までタッチしてみる。いつもありがとう。すると不思議と、右手が、それに応えるように、左手や身体を愛したがる。その感覚に、さらに、感謝が溢れて、自分の中で、循環が起こっていることを体感した。嬉しくなった。

そして、自分の右手が、夫の性格と似ていることにも気づく。と言うか、きっと、自分の男性性を夫に投影しているわけなので、やっぱり自分から。なのだと、めちゃめちゃ体感的に肚落ち。急に、自分を芯にした大きなトーラスのエネルギーが、この、自分が観ている世界のすべてという感覚が来て、自身の女性性“メ”が、その世界と自分を愛してくれている、これからもっと愛そうとしている、男性性“オ”に対して、「ありがとう」の感覚だけではなくて、喜びを爆発させようと、お腹の中から、嬉しさやら、楽しさやらが、溢れてきた。

自然と笑っている。粛々とクリトリスを愛撫しつつ、喜びが溢れてくるから、右手も喜んで、疲れる感じがしないどころか、もっと!!愛そうとする。もう、時間がかかっても、イケないことに、焦りもなくなってきた。それどころか、時間がかかって、この喜びが、ずっと続くことを、さらに喜んでいる自分がいる。わたしは、講座受講への志望動機のなかに、痛みではなく、喜びで繋がりたい、と書いた。そのために、喜びを知りたい、って書いた。あぁ、もう知っているのか、と思いながら、もう知っているんだよ、と、この感覚が、全ての人の中にもあることを確信できた。「メ」と「オ」が、自分の中で「トウゴウ」されて、ひとり「メオト」が成っていく。わたしは、「喜び・悦び」そのものだ。

そうして、楽しんでいると、すごく距離があるように感じていた、ジョイパールと松果体とが、めちゃめちゃ近い場所にあるように感じる。快感を上にあげる、という意識を持つけど、なんだかそれが面倒になって、手放してみたら、オーガズムを感じた後、自分が芯になっているトーラスのエネルギーの流れ自体が上向きで、自然と快感が上がっていく。まるで、頭のてっぺんから潮を吹くクジラになった気分で、さらに嬉しくおかしくなって、一瞬のイク、刹那的なイクを求めて、愛されることを求めていた自分のことも、おかしくなってきた。もう、めちゃめちゃ幸せな秘儀5日目でした。

6日目
よし、寝る前に秘儀しよ!!と、布団に入って呼吸を整えて、氣光天瞑想に入る。瞑想に入る時点から、両手を恥骨にあてて、深く呼吸することを意識する。手が、子宮にエネルギーを誘導してくれるようで、すごく気持ちよく呼吸が入ってくる感じがした。気持ちよくて、何度も何度も、呼吸とエネルギーを、子宮に溜めていく。今日は、どんどん溜まっていく感じがして、氣光天もこの体勢でしてみる。が。不覚。気持ちよく身体が温まって、それ以降の記憶がない。気がついたら、朝でした。6日目とカウントできないなと判断して、6日目をもう一度しますと、意図を上げました。

6日目(再開)
深夜、やっとこ秘儀再開。でもやっぱり、無駄な瞬間は、一切なくて、地震で崩れた阿蘇山を見られたこと、そもそも高千穂に、このタイミングで行けたことが、秘儀にも繋がってきた。氣光天瞑想に入って、いつも、ビックバンのイメージのところで、なにかが詰まっている感じがしていて、どのポイント、チャクラを中心にしたら、気持ちよくて爆発するのかな?と、思っていた。それが、太陽神経叢にしたら、すーーーっと違和感なく、呼吸も通るし、爆発もうまくいく。とはいえ、疲労感と、意味のわからない悲しみとで、イクまでにとても時間がかかった。

その気持ちよくも、なぜか?悲しい、長い長い時間。この永遠に続くように感じた3日間のおさらいのようで、濃縮された体験を落とし込む作業のようにも感じた。自分の中の、なにが??そう感じさせるのかは、まったくわからなかったけど、今いる場所に集中してきた時間の中では、見えてこなかったものが、秘儀を通して、現れてくる気がする。「聖なる性」に取り組むことは、わたしにとっては、最終戦的な、ラスボス感がある。いくつかの生贄の過去世の記憶や、ご先祖が身体に繋いでくれているDNAの記憶、ご縁ある人たちが観せてくれる記憶。なんで、生贄が処女でないといけないのか?も、「聖なる性」に通じると、ぼんやり理解していく感覚。「聖なる性」を識ることは、わたしたちが、それをつかってしてきたことも、知ることになる。

何度も繰り返されてきた国生みや、そこに、何世も貢献してきた魂や、その魂同士の繋がりや、もう!!いろんな過去世や体感が、バチバチ!!っと繋がっては弾けて、でも、最終的にわたしは、こう宣言する。わたしは、わたしの喜びのために、すべてをつかう!!!喜びでない、犠牲は、もうたくさんだ。聖なる性とて、そこに犠牲がともなうなら、開く価値がない。土着のシャーマニズムが根づいている民族の少女たちが、たくさんさらわれ、その性をつかわれてきた。性欲処理にではなく、大義のために。強烈な快感、オーガズム、それもながく続く。けど、いろんなものが、大地に還元される感じで、上げようとしても、上がってこずに、足の裏を熱くしながら、流れていった。

7日目
起きてから寝るまでを1日とせず、正味の日付表記に変更。久しぶりに朝ゆっくり寝た。起きてすぐに、秘儀を始める。頭もイメージも、なんにも働かなくて、ただ、やるって感じで始めてみるけど、意図がないと、やっぱりスイッチが入らないことが、はっきりわかった。氣光天瞑想で、どのパートも、地球の中心と、天とを結ぶラインを,背骨に合わせてみる。なんとなく、中脈で捉えていたけど、しっくりきていなくて、背骨側にすると、ゾワっとエネルギーが通る感じがする。すると、真っ暗闇の中で、白い光の柱のようなものに貫かれている感覚。と言うより、その白の中に、自分が立っている。

今日は、秘儀を始めて、初めてのまっぱ。子宮のあたりは、冷たくはないけど、温かくもない。冷え性な上に、家の中が寒いので、貴重なまっぱデイ。呼吸を意識しながら、ジョイパールをやさしくやさしく。今日は、ハッキリと、自分のジョイパールが「点」だということを、中指が確信した。こんなの、ダンナ任せにするのは、していたのは、申し訳ない気がしてきた。ほんとに、ピンポイント過ぎて,自分でも、すぐに的を得なくなってしまう。

時間が、やっぱりかかる。それは、もうカンネンして、根気よく愛すると決める。天から降りてくる、白い光をてっぺんから通そうとイメージするけど、うまくいかない。それどころか、白い光は、光というより、モヤや霧みたいで、全身を包むように漂っている。と、ふと、「プラーナ、プラーナ」と言葉が浮かぶ。あー、プラーナなんね、コレ。と思って、てっぺんから通すのをあきらめて、皮膚からプラーナを吸収するようなイメージをしてみる。そしたら、びっくり!!めちゃめちゃ、気持ちいい。

「ダンス、ダンス」と、今度は言うから、おぉーーダンシングシバ!量子レベルで、プラーナと戯れればいいんか!と思って、皮膚っていう境界で、エネルギーが交わる感じをイメージする。気持ちいい。立ち込めた白いモヤが、皮膚から吸収され始めて、どんどん溜まっていく。ずっと、クリトリスを刺激しながら、その感覚を観ていると、子宮辺りで、その白いのが赤く染まっていく。赤く染まったところが、どんどん大きく広がってきて、白の中に、赤い丸が濃くなっていく。と、ここまで来ると、いつでもイケそうなのにイケない感じが、続く。こうなると、長丁場になるけど、粛々と右手中指くんに頑張ってもらうことにして、ダンナの気持ちを、ひしひしと味わう。

と、ふと、また、「上手に感じているよ」「いいよーー」と、応援が入る。たまーーーに出てくる、イケメンガイドだ。あ。と、気づく。わたしは、宇宙からのエネルギーを、子宮に溜めるようなイメージを、レモン大の子宮に、ピンポイントに光が注入されるようなことを、一生懸命イメージしていた。お腹の中、中脈を通って、臓器としての子宮。自由なはずのイメージングを、物質レベルに、押し込めようとしていたから、呼吸が入ってこず、詰まった感じ、息苦しい感じだったのかな?と。白いプラーナを吸収し続けて、身体全部が、エネルギー充満。布団をかぶっていることもあって、秘儀を始めて、初めてじんわり汗が出てきた。

途中、電話が鳴るも、無視。一瞬、冷めかけたけど、気を取り直したら、ここまでが充填タイムだったのか、快感レベルが急に上がって、どんどん昇っていって、イクことができた。オーガズムは、回を重ねるごとに深く長くはなっているけど、ここへきて、性感脳が完全に開くまでは、まだまだなんだ、となんとなくわかる。何度も何度も、松果体に上げるけど、突き抜けることはなかった。にしても、快感に耐性がついてくる、という表現が正しいか?は、わからないけど、まだまだ先がある。ということだけは、はっきり感じた。魔女が、裸で森に入って、新月や満月の夜に行うような、全存在と交信交流するような、そんな秘儀だと思った。チャージされた感が凄くて、慢性的に眠いけど、とても元気が満たされた1日になった。自分の身体を、エネルギー体として捉える、具体的な体感が得られた秘儀でした。

8日目
夜遅いと、やっばり疲れていて、感覚も散漫。愛する、愛される、愛し合う。喜びで共振共鳴しあって、繋がっていきますと意図して、始める。氣光天瞑想。宇宙の中心感、地球の中心感が、なぜかあって、パイプになる感じが、まったくできない。子宮が、地球の中心点と重なっていて、同時に宇宙の中心点、意味がわからないけど、上下を繋げる、ということが、子宮を感じるだけで、完結してしまう感じ。繋げるまでもなく、すでに繋がってて、ただそこに在る。

ジョイパールが、怒っている感じがする。「姫感」でもって、怒っている。今日は、指先が荒れていて、タッチが少し痛く感じる。なんで手入れしてから、愛さないのか??って、プリプリしている。時間を取れなくて、ごめんね、愛させてね、アダムオイルは優秀だから。と、ほんとに優秀、諦めていたクリイキができるようになったんだから。

怒りは、どこかへ消えて、没入していくけど、変わらず時間がかかる。時間がかかれば、かかるほど、つくづくアダムオイルに頭が下がる。途中、全身を脱力させて、感じてみると、ベースに安心感がちゃんとあるのが感じられた。鋭い快感、中指を離さずにいると、間隔をあけて、ピークの波が何度もやってくる。その波のたびに、松果体へ上げる。フッと、濃く蒼い山を見下ろしていたり、次の瞬間は真っ白な吹雪の中だったり、夢で見たような景色が映ったけど、重力がかかっていて、うまく上げられない。課題が出てきました。

9日目
今日の自主勉強会参加の方が、シェアしてくださっていた内容から、いろいろ修正点が見えて、基本にかえって、呼吸法を徹底的にしてみることにした。丹田、子宮にエネルギーが溜まっていく感覚を、両手でサポートする。手のひらの温かさが、心地よくて、イメージもしやすいし、感覚もつかみやすい。ふと、自分が、向き合うことから逃げていることに気づいてしまった。自分でタッチしていく、セルフラブ。まずは、そこからなのに、時間と家内環境が整ってなかったとはいえ、アダムタッチを疎かにしがちだ。

皮膚感覚が敏感で、足の裏が、なにかに触れるのがイヤで、動けなくなっていた、小さい頃を思い出した。子どもの頃の、ごっこみたいな擬似レイプや、痴漢に遭って、めちゃめちゃ嫌なのに、めちゃめちゃ濡れてしまう自分が、どうしようもなく嫌だったこと、いろんな嫌悪感が溢れてきた。感じたくない。簡単に感じる自分が、嫌だ。そういえば、やっと、旦那のアダムタッチが凄く気持ち良くなって、クンニでいけるようになったセックスから、だいぶ時間が経ってしまっている。一筋縄では、いかんのやなぁ・・と他人事のように思ったり、不満に思ったりしていたけど、これは明らかに、自分のなかの抵抗が問題だ。ぐるっと一周回って、セルフラブを始めた地点に戻ってしまった感覚。途方に暮れて、寝ました。

10日目 
講座3回目の夜。少し気をつかうけど、ドミトリーのベットで。しっかり呼吸法をして、部屋全体ぐらいは、すっぽり光で満たす。仲間のチカラは大きい。みんな違うけど、目指すものが一緒で、励まし合えることが、嬉しくて、アダムタッチをすることが、楽しい。没入してしまう感覚が、メルマガで日々目にする、スローセックスを実践されている男性方の感想にあるみたいに、すごく嬉しくて、美しさをダイレクトに感じて、みんなに対して感じるこの感覚を、自分自身に向ける気持ちで、タッチしていく。とても気持ちいいけど、なんだかやっぱり、指先が少しざらついている感じがして、気になってしまう。

気持ちを切り替えて、クリトリス愛撫。途中、すごい圧が、百会にかかる。ガタガタ下半身が、震動を起こす。波は来るけど、いく感じでもない。何度か、また、ガイドがなにか言ってくる。手放して、手放していこうとする気持ちを、手放して、ゆっくり力を抜く。これを、何度か繰り返した。気がつくと、いこうとしている。それを、手放して、任せろと言われる。自分で、しようとしない。ほんとの意味で、もうすでに“そう”なだけの、神が自分に浸透していくのを許す。ふと、これでいいや、となって、終了。罪悪感や、自己嫌悪もそうだけど、これまでのセックスや快感に対しての観念が、細胞に染み込んでいて、膣や子宮周辺から、浮き上がらせるような秘儀だったな、と思います。

11日目 
朝、少し気配はあったものの、夜に帰宅して、ドバッと生理がきた。ナイスタイミングまで、待ってくれてありがとう、子宮ちゃん。氣光天をはじめにしてから、ゆっくり呼吸法。吸うときだけじゃなく、吐くときも、エネルギーが子宮に流れ込んでいく感じをイメージしたら、なんなくどんどん溜まっていく。が、熱をもたない。イメージが、身体に変換していかない。手のひらを、タッチする。丁寧に丁寧に、手のひらを、愛したくなって。すぐに、涙がとまらなくなる。子どもの頃から、なんでこんなにシワシワなんやろう?って、手にコンプレックスがあったけど、つい最近、ひと目見て寒気が走った画像があり、芋づるで、つながった。アイヌの人たちに、入墨文化があるのは知っていたけど、琉球にそれがあると、知らなかった。とある霊能者さんの、畿内でのフィールドワークで、えげつない呪詛に魂が使われた経験があることは、認識していた。でも、自分自身が、はっきりと記憶をよみかえらせたわけではなかったから、とにかく火が怖かったことの謎がとけたぐらいに思っていた。

琉球弧には、手指に入墨をするそうだ。部落によって、そのデザインが違うらしく、あまりの痛みを堪えるための歌まであったらしい。手を見れば、どこからさらわれてきたのか?わかるから、連れ去られないように彫るけど、そんな願いは空しく、意味のないことだったと、胸の奥から悲しみが溢れてくる。もう、大丈夫だよ、大丈夫だよ、と時間をかけて、触れた。

ふと、レイキの師匠が言っていたことも、思い出した。わたしたちは、この手で、愛してもきたけど、たくさんの命を奪いもしてきた、と。愛して愛して愛し尽くして、殺してきた記憶が、昇華されるまで、やり続けるのみ、なんやなぁ、と改めて思った。ジョイパールの愛撫は、昨日と同じ感じだった。ただ、積極的に、もうわたしは、これ以上、自分の力だけで進むことはできません。これまでも、導いてもらい、助けてもらい、愛されてきただけですが、もう、すべてを手放して、お任せします。わたしは、喜びそのものです。と、意識的に委ねる感覚を、味わってみた。40分ほどで、終了。いかないけど、イヤな感じも、むなしさもない。息が止まりそうになる、尾てい骨痛が、時々ある。ゔゔっっ!!と、しばらく動けなくなる。そうかと思えば、夢の中で、イクことも、たまにある。自分の性エネルギーなのに、自分のものとして、取り戻せていない気がしてくる。だから、“自分のもの”として取り戻すために、「自分以外」を徹底的に排除している最中なのかもしれない、と思う。手放す、ということを、意識的にしていく、そんな方向のような気がしています。

12日目 
仕事の疲れで、寝落ち。目が覚めたら夜中で、用事してから、寝る前に秘儀。生理2日目。初めから、長時間は無理やな、と思って、服もパンツも着たまま。氣光天をしていて、いつもと変わらない感じだけど、ふと、瞑想初心者の頃の感覚でやっていることに気づいた。身体的なまぶたの裏で、一生懸命、なにかを見ようとしていた。当たり前やけど、この3次元的、物質世界的なものしか見えなくて、暗い。少しまぶたを透かして届く光、もしくは、まぶた裏で展開される色彩が見えはするけど、イメージに焦点を切り替えないと、同時に2つの世界を見ようとしているようなもので、そりゃ、うまくイメージング出来へんな、と。それで、まずは、自分の内側を、光でいっぱい!!に満たしたいと思い、グラウンディングで降ろす光を、豪雨ぐらいの勢いで、脳天全開にして、光のシャワーを浴びてみることにした。

百会がすごい圧を感じる。生理が関係しているのか、東京からの帰りの飛行機でも、下降時に、ぶっ飛ぶほどの圧力を感じて、気を失いそうになった。それでも、全身くまなく、アストラル体まで満たすところまでいけば、浸透圧で、プラーナと同じように毛穴から滲み出るぐらいに、光が溢れるとイメージしてみる。飛行機での体験も、つかうなら、意識上向きに持たないと、圧を受けることになる。「手放したい」と願っている自分を見つけて、その願いを叶えるために、絶対手放さない自分を創り出していることにも、気づけた。

痛みや、悲しみを、内側から溢れる光で、洗い流す、重い感情や感覚を、捨てる覚悟をした。と言うか、つい掴みがちなのを、手を開くことにした。その状態で、右手と左手とで、また、手を愛し合ってみた。めちゃめちゃ、嬉しくなった。現在進行形で浴びている光が、手指から溢れているのが、わかる。パンツに手を突っ込むかたちで、ジョイパールに触れる。とても、あたたかくて、気持ちいい。と同時に、涙があふれてきた。なんだか、自分が自分で、いたたまれない。ずっと、そうして欲しかったんだ。肉体的な部位としてのジョイパールではなくて、わたしの核としての大切なところに、愛の光で触れてほしかったんだ。女としての自分のなかにも、ジャンクセックスが、染み付いてしまっていることを知る。そりゃ、いけんわ。そりゃ、拒否るわ。気づかせてくれて、ほんとにありがとう。やさしくとじて、終わった。

20年近く前に読んだ、とあるブログに、ネイティブアメリカンの部族の人たちの、スウェットロッヂに入れてもらう機会があった方の話。残念なことに、生理がきてしまって、入ることが出来なかったそうで、でも、長老の女性に言われたという、その言葉を、わたしは今も、生理のたびに思い出す。生理時の女性は、誰でも「メディスンマン」。エネルギーが強すぎることから、ロッヂに入る他のメンバーに影響が出ないように、入らないのだそう。自分的には、深い気づきの秘儀でした。

13日目 
まずは、呼吸を整えるところから。でも、思考が飛び交って、イメージができない。何回も何回も、気を取り直して、何度も繰り返してみるけど、すぐ散漫になってしまう。疲れているんやなーーと、自分をねぎらいつつ、なんとなく、子宮にエネルギーがたまっていく感じだけはする。光のシャワーを浴びつつ、その光の粒子が、トーラスに流れるのを見たり、自分を中心点に爆発するのをみたり、トーラスで包まれた自分=すでに、光の球の中にすっぽり、という具合に、金色の粒子の流れの変化で、氣光天をしてみた。前に感じた、白いプラーナが、皮膚を、通して入ってくる感覚と、金色の光の粒子が、交ざる様子を観察してみる。すごくゴージャスというか、高貴というか、これが、はっきりと体感できたら、素敵だな、と感じる。まだ、体感にしっかり落とせない感じ。今日も、指から光が出ているのを確認して、顔や鎖骨をタッチ。ジョイパールをタッチ。

静かだ。あまり思考が動かない。ただ、エネルギーが流れているのを観察して、感じている。ふと、生理の時は、すでに子宮がエネルギーでいっぱいなのかな、と思う。性エネルギーかどうか?は、はっきりわからないけど。オーガズムがくる。指をあてているかぎり、何回も波がくる。その度、松果体へ上げる。けど、これが、うまくいっている気がしない。ただ、とっても気持ちよくて、疲れが軽減されたような。気持ちよく眠りにつけた、シンプルに反応する自分を観察するような秘儀でした。

14日目 
午後から、頭が痛い。気圧のせいかな。夜になるにつれて、キツくなってきて、フルセッションの練習!と思っていたけど、腕だけさせてもらって、横になる。もう寝よう!!と促されるけど、秘儀をせずには寝れん。夫婦2人になって、生活パターンが少し落ち着いて、習慣化しつつあるので、飛ばしたくない。座椅子に背中をあずけて、まずは、呼吸を整えるところから。

すぐ、寝そうになって、意識がとぶ。何度も、気持ち戻して、氣光天を。薄々思っていたけど、わたしは、視覚系じゃなく、触覚系、体感系なので、ついつい身体感覚に意識が集中しすぎて、イメージも、呼吸の深さと長さに依存してしまう。吐く息の長さ=イメージできる限界、みたいな。なので、大きな腹式呼吸を無意識にしようとしてしまって、イメージが広がっていかない。今までのフィールドワークや、必要なメッセージを受け取るときは、呼吸を整えたら、あとは身体を置いて、受け取ることに集中していた。大きな感情体がつながったら、身体が自動的に反応するので、子宮で燃やすなり、嗚咽や嘔吐反応で出したり、マリアさまや観音さまに迎えにきてもらって、あげたり、“自分以外”の霊媒的なことに、自分をつかってきた。そうしたくて、してきたけど、限界があることもわかって、“自分”との絆を、今は、取り戻し中なんやと思う。

素直に、天や、宇宙や、ほかの誰でもない、史上最高の自分=神と、全細胞との蜜月状態を目指す。結局、ココが愛しあえていなければ、ほんとの官能はないのだと、気づいた。どこを触って欲しい?と、ちゃんと聞いてみる。足先。膝から下を、丁寧にパームタッチ→アダムタッチ。で、クリトリスに指ではなくて、光体で触れる。指先とクリトリスの接続部と会陰あたりを通る、トーラスの上下両方のエネルギーの流れを意識してみる。秘儀を始めて、はじめて、子宮とクリとの繋がりが、感じられた。逆に、今まで切れてたんか!!と気づいた。

20代の頃、クリでご自愛すると、やたらと足の裏が熱くなって、ベースチャクラは、両足裏から上がってくる地球のエネルギーの交わるポイント、と教わっていたので、なるほどと思っていた。セックスで、これを感じたことはなくて、アダムさんに出会って、クリトリスの重要性を認識してから、再び、足裏が熱くなる現象が復活。秘儀で、毎回、熱くなることはないけど、足裏チャクラだけでなく、足裏全部が激アツになることは、ある。地に足ついている。ここで、神になれば、地上天国だ。子宮と、クリトリスの、快感での繋がりが嬉しくて、頭痛もどっかへ行き、さらに快感を求めはじめる。

強い波が来はじめる。が!!気持ち焦ってか、松果体へ上げはじめるタイミングが、早すぎたのか、何度やっても、上がってこないし、何度も上げすぎて、しまいには、波が遠くなってしまった。失敗、失敗。と、素直にあきらめて、今日もありがとね!と、なぜか爽やかにデートが終わった。秘儀が、デート、楽しみに変わっていることに、気づけました。

15日目 
調べものをしていて、めちゃ深夜になってしまったけど、秘儀開始。手からエネルギーが、まだ出ている。シンプルに、氣光天。吸う息が、なんだか入ってきやすい。寒くて、服を着ているので、なんとなく導かれるように、両手のひらが、両頬を2、3センチ肌から浮かせた状態で、包み込んだ。そしたら。鎖骨のあたりから、首筋、んー、と言うより、耳の中?を、寒気のようなブルブルする感じが、何度も何度も、上がってくる。

そういえば、グラウンディングで光を降ろすとき、必ずわたしは、ブルっとする。身体の自然な反応なので、気にしてないけど、こんなに何回も繰り返しくることは、これまでない。ブルブルが穏やかになってくると、自然と手が動き、両耳を覆った。そしたら、感情の動かない涙が、どんどん溢れてくる。なにかの浄化がなされている。喉が締め付けられて、嘔吐反応が何度もくる。苦しい。「生き埋めされたでしょ?」って、声がする。いや、覚えてない。

「卵子が受精して、49日目に松果体ができるんです」アダムさんの講義が、浮かぶ。チベットでは、死んで49日目までは、耳元でお経を唱え続ける。魂が、道に迷わないように。なんだか、いろんな情報が、概知も未知も入り混じって、流れ込んでくる。覚え切らない。ハートチャクラ・アナハタ、音なき音。ハートと手のひらの繋がりハートと、喉のあいだの見えない塊。こうして思い出して、書き出そうとしていても、耳の奥〜喉の奥が反応する。まるで、“ココ”に松果体があるっていうのを、体感ではっきりわかるように、指し示すように、その周りが、動いている。「解除する」とだけ、声がして、訳がわからないまま、泣いた。このまま、終わろうかと思ったけど、この流れで、陰核がどう反応するのか知りたくて、オイルをつけて触れる。

泣けてくる。呼吸法をしてみる。子宮をスルーして、会陰にエネルギーが集まる。と、とんでもない真夜中なのに、旦那が起きて、寝室でなんか言っている!てことで、中断。もう、終わったことだから。と、済んだことにしていた、藤原京跡地での、巫女の呪詛の掛け合い。生贄として、掛けた巫女たちを許せていたけど、肝心の自分自身の魂が、まだ救われてなかったのかもしれない。

11年前、当時霊能者さんに、その方が知る限り、最も残虐で冷酷な呪詛と言われたけど、まったくピンときてなかったし、なんなら、自分のことじゃなく、ただ、霊媒になっただけかも、とさえ思っていた。他人事だった。でも、ハリーポッターにしろ、呪術廻戦にしろ、わたしにとっては、リアリティがあり過ぎていて、この、秘儀を通して、呪詛の類いも解いていけるなら、福音以外のなにものでも、ない。

16日目 
今日は、全身アダムタッチをしようと、寒くて躊躇しっぱなしだったけど、チャレンジ。まずは、氣光天。光の柱が、今日は細く、鋭い。ピキーン!という感じ。トーラスの流れが描くラインが、当たり前やけど、前面と同じだけ、背面にも広がるのを、あらためて、感じた。背面の空間を、はっきりと感覚がとらえる感じがする。金色の粒子が、不規則に漂うなかに、いる。ゆっくりに戻しては、早くなり、戻しては、早くなり。腕が短いのと、かたいのとで、背中も腰も、しにくいけど、尾てい骨を重点的に、触れる。前日と同じように、喉の辺りから、耳の中、鼻の奥にむけて、ブルブル、ビリビリが、波のように、何度も何度も上がっていく。

タッチが終わった時点で、子宮のあたりは、まだ温まってなくて、あー、やっぱり、流れをおさらいしちゃったなぁーと、意識大事!を再認識。と、ジョイパールに触れはじめるタイミングで、背後に大きな男性の気配。よく見る、彫刻みたいな風貌で、シヴァやクリシュナみたいに、全身がグレーっぽい。はい、がんばって、みたいなノリで、サポートしてくれるらしい。

光の粒子の流れをイメージしやすくしてくれたり、百会から、どんどん流れ込むように、手を添えてくれている。いきそうで、いかない時間が長かったけど、失敗を思い出して、ギリギリまで子宮にエネルギーを溜めるように意識。オーガズムがやっときて、ゆっくり、上げる。が、体勢がわるいのか、松果体の反応が薄い。こうだよ、と促されて、まだ波があるうちに、背筋を伸ばす座位になり、右手中指をクリ、左手中指をボンノクボにあてる。なるほど、感覚もつかみやすいし、両手で接続して、繋がりやすい。が、なんだか治療を受けているみたいだ。こういうアプローチが、必要なパターンも、あるってことかな。と受け取って、終了。喉から、鼻の奥、耳の中あたりの、ボワンとした感じが、松果体にアクセスするのを妨げている。それが、はっきりわかった秘儀でした。

17日目
ちゃんと、背筋を伸ばした体勢で、はじめからやってみる。氣光天の初めから、今日は、耳の中が、ブルブルしっ放し。で、だんだんと、どうしたら?このブルブルが起こせるか?感覚がわかってきた。そうなってきて、気づいたのは、首まわり、首の上下あたりまで、凝っているというか、固まっているのが常すぎて、それが、エネルギー体から、少しずつ、解されようとしているってことだった。今日は、初めから、グレーなマッチョがピッタリサポートについている。「我は」で、全身にブルブル、「神なり」で、バーーンとイメージが広がる。教えていただいた通りに、最初以外を、トーラス〜球体の繰り返しにしてみた。なるほど、少しずつ、自分を包む球体も、トーラスの流れも、大きくなっていく。その金色のエネルギーを、子宮にためていく。

顔と、耳に触れて、前日の最後にやったのと同じように、クリトリスと松果体を、中指で繋げる。正味、まだまだ、子宮に熱が入らない。子宮に向かうように、呼吸ごとにイメージするけど、体感的には、クリトリスと会陰が温かくなって、まだ、子宮まで満ちる感じが、しない。それでも、丁寧に呼吸を重ねてみた。不意に、「生きている!!!」と、なにかが、叫んだ。「あたし、生きている!!!」胸が熱くなって、涙があふれる。今、思い出しながらも、込み上げてくる。胸の奥から、「生きている!!!」って叫び続ける。なにか、よくわからないまま、感動が押し寄せる。数年前に、どこからともなく、「さわってほしい」と、メッセージを送ってきた主のような気がする。もしそうなら、わたしは、やっと、この声の主に、触れることが叶ったのかもしれない。秘儀で。膣が熱くなる感覚を、大切に抱いて、眠りました。

18日目 
夜遅くまで仕事しちゃって、眠い。それに、旦那とすれ違っていて、よけいに疲れを感じる。秘儀を始めると、なぜか、寝ていた旦那が、2階から降りてきて、どーでもいいようなことを、話しはじめる。取り込み中なんですけど、っと言うと、なにしているのか聞くので、一通り説明する。自分に余裕がないのが、浮き彫りになってくる。とにかく、1人になって秘儀したい。こたつで居るなら、わたしが上へ行くって言うと、慌てて布団に戻ってくれた。

下腹部、子宮が重たい。生理の残り血が、いつまでも出ていて、張っている感覚。氣光天をして、女性器全体と、ぼんのくぼとに、そっと手をあてる。前日、「生きてる!!」と叫んでいた、わたしの一部?の扱いに戸惑っている自分がいる。無意識層に押し込めていた存在。圧倒的にチカラが強くて、それをもののけみたいに、妖怪みたいに、感じている自分がいる。人生の、ここかしこで、全部の指揮を取っていたのも、いまのこの地点に導いたのも、実は、コイツだと、どこかでわかっている。秘儀で、「自分を愛する」を、実践するうちに、めちゃめちゃくっきりはっきり!!自神・魂と自我との関係を、夫婦関係に、投影していることを思い知る。

どっちが何役なんてない。それが投影の本質、ただのホログラムなんだよって言わんばかりに、その顔も、役柄も、くるくる変わる。それで、苦しんで、思い悩んで、投影対象を変えたくなるんだ。1人の男も愛せなかったら、世界なんて愛せない。そう思って結婚した自分に呆れながら、こんなに“愛し合う”を実現したい魂に、感服もする。ちょびっとずつ、捉え直し。劇的な変化を望みながら、ほんとに地道な積み重ねでしか、進めない。途方に暮れたような秘儀18日目でした。

19日目 
あたためた布団にもぐって、氣光天。気持ちよくて、これだけでも幸せ。望むことと、できることの相互理解を、自分のなかで、深めていることにしよう。女性器と松果体とを手で繋げた瞬間、少し小さな雲が浮かんでいるだけの、青空が、パッと見えたのが印象的だった秘儀でした。

20日目
枯渇感しかないパートナーシップ。延々と広がる砂漠を、男女の愛“以外”のなにかで、しのいで、なんとか歩いてきた感じ。自分の女性性と男性性とが、真具合はじめたことで、死んだようだった魂が、命を吹き返す感覚を持てたのかもしれない。慰めるでもなく、責めるでもなく、放置していたら、明日DVD見るわ。と言って寝たので、秘儀開始。

睡魔との戦い。でも、なにかが、吹っ切れている。氣光天のあと、内ももから触れてほしいのリクエスト。自分でするアダムタッチを、こんなに時間をかけることができたのは、セラピーの流れを通した以外は、初めて。ジョイパールの愛撫。足を閉じる体勢が、とても気持ちいい。少し時間がかかったけど、オーガズムがきた。指を離さない限り、ずっと続くように錯覚するような波。松果体に届きはしたけど、弱い。真っ直ぐ座り直して、右手クリトリス、左手サードアイ→ぼんのくぼ→百会と、ポインタあててみる。打ち上げる時、史上最高の喜びを、ここに降ろして、その表現をもって、すべての人と繋がります!!って、考えずに意図していた。それに対する応え?かどうかは、わからないけど、「神々とまぐあう」って、脳みそに来た。じゃあ、ものは試しに、グレーマッチョならぬ、シヴァをおろしてみる。特になにも、ない。こうじゃないのか。すぐに、イメージがきた。たとえば旦那だったら、旦那の“神”に繋がれってことみたい。ヒーリングの基本、その人の光をみるってことかな。みるだけじゃなく、まぐあうのか?とにもかくにも、トライ&エラーの繰り返し。感謝して、終えました。

21日目 
奇しくも、というか必然かな?21日目に、ほんとに久しぶりに、ちゃんとセックスできた。自分で決めないと、いつまでもどこまでも、やることが山盛りの仕事。少しずつ、休むことを意識できるようになってきた。起きたら、すでに旦那、アダムさんのDVDを見て復習中。すぐに、する??と誘われるも、わたしの方が仕事があったので、なんやかんやで、お昼ご飯後に。

ジャンクでも、旦那がイクのに合わせて、自分もいけていたのが、前戯の途中でも「気持ちいい」が、どこかへ去ってしまうことが増えてきて、中断することが多くなってから、レスの方向へ。旦那は、スローセックスを学び始めるまでに、射精は放棄してくれていて、とは言え、わたしが申し訳なさに負けて、クリイキしてないのに、挿入に踏み切ってしまう。

中イキしか出来ない、というのも、ついつい期待してしまう自分を、許してしまう要因。指ではマトを得ない場所に、ペニスなら触れてくれるからだ。かなりいいとこまで、感じさせてくれたけど、結果的には、ジョイパールの指での愛撫ではいけず、クンニでも、いけそうで、いけなかった。ああでもない、こうでもない、こうして、こうしてみて、自分のジョイパールを、2人でなんとか感じさせようとすることに、恥ずかしさも消えていて、もどかし過ぎて、イライラすることも消えている。それでも、こんなに小さなジョイパールなのに、気持ちいいポイントが、移動してしまう感覚があって、指や舌がズレていく、という原因の他にも、わたしのジョイパールの方にも、なにかありそうだと、思わずにはいられない。

それでも、「愛し合う」ができたことは、大きな満足。からの。秘儀は、どんなだろう??意図そのものが、はっきりしてきた。最上の喜びが溢れる世界を創りたい。深い悲しみとバランスをとるような喜びじゃない、もっと根源的なところから湧いてくる、フリーエネルギー的な喜び。植物たちや、この地球のシステムに比べて、わたしたちは、随分とディセンションしていると知ってそれを痛感している。与えてもらうばかりの、もらうばかりの存在。喜びで循環できるようになりたい。お互いを喜び合う、そんな世界を創ります。

丁寧に氣光天。とても、スムーズ。そして、パワフル。会陰と百会が、ジンジンしていて、頭上半分まで、そのジンジンが広がってくる。眉間と鼻まで、ジンジン。こりゃ、どうなっているん?ビックバンだけが、白く柔らかな光で、爆発っていう感じではなく、漂っていく感じ。でも、全てのパートで、安定感半端ない。トーラスのてっぺんの、噴水部分で、花びらがひらひら、フワフワしているのが見える。その辺りのエネルギーが、ピンク色に染まっている。あぁ、そこに大きな花を咲かせたいな・・・とふと、思う。トーラスの流れが、百会からだけじゃなく、ハートの辺りからも、溢れ出ている。これが、背中から出る部分が、羽根になる。羽根以外は、手を通して溢れて行く。頬と鼻、顔全体や、耳に触れて、ジョイパールに触れる。頭と下腹部全体の、ジンジンが激しくて、どこが松果体で、どこが子宮で、と掴みにくいけど、とにかく、ジョイパールから発生する快感に集中してみる。が、なぜか?瞑想状態が深くなっていく。自分の身体の中の空間が、星屑で埋め尽くされた宇宙みたいになっていて、とても静かだ。

何日目か?に感じた、“ここ”が宇宙の中心感。右手中指、必死やけど、その宇宙空間の中では、シーーンとした中を、金の腕輪をした、深くて透けた青色の手、腕が、上から伸びてくる。もっと激しくていいよ、と言われて、指の動きが激しくなる。これまでのセックスでも、セルフでも感じたことのないような、全身の全部の細胞が振動して、ブワっと浮く感じ。快感が、身体の皮膚を突き抜ける感じがした。なんとも言えない、不思議な感覚。脳天のその先から伸びてきたその手が、わたしの内側から、ジョイパールの内側??から、必死だったわたしの中指に触れている。まるで、ET状態だ。青い手中指と、わたしの中指の指先が、光を放ってジョイパールで繋がっている。思い出しながら書いている今も、ふと、時間が止まる感覚がよみがえってくる。な、なに??なんか、よくわからないことになっているけど、この感覚にチューニングすると、とにかく満たされる。もう、戻れないな。ということだけは、はっきり感じる、そんな秘儀でした。ありがとうございます!!!

PageTop