アダム徳永の女神覚醒アカデミー

エヴァセルフラブ秘儀レポート

女性が女神として覚醒に至る秘儀のレポートです。

高木早紀さん(仮名)/ 29

1日目
秘儀をはじめるまえに、目の前の鏡で自分自身をみたときに、鏡に映る自分は、本当の自分ではないと思えた。じゃあ、はじめようね。と自分に伝える。気光天瞑想をすると、5順目くらいで、上半身が前後にゆらゆらゆれはじめる。徐々に右回転に変化する。自然と動きは収まっていき、自然な呼吸を数回して瞑想を終えた。胸と胸の相手に左手が自然と伸びた。そのままその場所を感じる。そうしていると立っていたれなくなり、そのまま後ろに倒れんだ。左手は胸をなぞって、腹部へと向かう。「え、アダムタッチは??」アダムタッチをしようとあたまでは思っているのに、自分の考えていることに反して、手はそのまま陰部へ向かおうとしていた。秘儀の正式な手順ではないけれど、その流れに身を任せようと決めた。

恥骨から会陰までを左手が覆う、それだけで信じられないほど感じる。あぁぁと放つように大きな声がでた。左手右手の中指でクリトリスを感じる。膣の中から足先まで痺れたように、もわんもわんする。呼吸とともにそれを感じ、エネルギーが上にも抜けていく。すると膣の中に右手の中指が吸い込まれていく。膣の中とクリトリスを行き来する。 本当に手が自然と動く。わたしはこれまで膣のマスターベーションを数回しかしたことがなかったのだけれど、その時の手指の動き方を全く違う。クリトリスでも膣でもすごく感じて、何度もエネルギーが上へ登っていくのがわかった。

手はだんだん激しさを出してきて「ちょっと乱暴すぎないか?」「なんかもう嫌だな」という気持ちが湧いてきた。気持ちいいと気持ちが悪いが一緒に存在している感じだった。手は動きを止める様子はなく、しばらくは身をまかせていたが、もう眠たいからやめる!と思って、手を陰部から引き離した。意気込みと相当な力をつかうことで、やっと離れてくれた。終えたあとは、疲れ果てて、ストンと裸のまま寝落ちをした。こどもの鳴き声で夜中に目を覚ましたときも、下半身にまだモワモワンとした感覚があった。朝目覚めたときは、すっきりしたものではなく、胃のあたりが重だるかった。

2日目
昼間の空が綺麗で、うっとり眺めていると膣の疼きを感じる。このまま秘儀をしようと思って瞑想の姿勢になる。空をみて空を感じ、呼吸に意識を向けていくと、自然と落ちるかのようにフッと瞑想に入っていく。 もすこし自分を感じたくてすぐに気光天へはいかず、自然な呼吸をする。からだが左右にうごく。次第に右回転の円運動をはじめる。大きな円から小さくちいさくなっていき、収束した。そのまま気光天へ。内側のひろがりが、まだ狭いように感じる。ただそうだということ感じて流していく。瞑想を続けていく。膣の疼きに耐えられなくなり、前に倒れながらうつ伏せになる。クリトリスがシーツに擦れて、快感がからだをはしる。これだけでこんなに感じていることに驚く。仰向けになりアダムタッチへ。なんとなく、はじまりは腕からという考えが私の中にあって、腕からアダムタッチをしてみたが、全然気持ち良いと思えない。いままで感じていた快感の流れにあっていない。再び空をみて呼吸に意識を向けて意識に沈んでいってみた。すると手が動き出す。お腹やお尻や脇腹をアダムタッチ。快感がまたやってくる。

頭で考えて気持ちよくなるように、という思いですると、全く感じないようだ。感じることに集中していくと、自然と手がはたらく。呼吸を感じることで、手も呼吸と共に連動して様々な動きをしてくれるように思う。アダムタッチで満たされたので、壁を背にして座位になる。クリトリスを皮の上から丁寧に撫でていく。動きを止めて快感を感じる。快感を感じて感じて感じきると、それまでの指の当て方では感じなくなるから、さらに深く押し当ててまた快感がやってきて、それを感じて感じきるというのを幾度か繰り返す。そうしていると今日もまた膣の方へ指がすすんでいく。膣の吸引力がすごい。手が吸い込まれていく感覚は昨日もあったが、これは膣の吸引力がそうしていたのだと気づく。指が膣の中を動きまわりあるポイントで止まりそこを集中的に刺激していく。刺激を受け続けると呼吸が浅くなっていき、からだもぎゅっと閉まる。そうなっていることに気づき、もう十分だ。と思ったら、声を出して、吐き出していく解放していく。波の満ち干きと同じだと思った。自分のからだ中にこんな世界があることをはじめて知る。

続けていると、「がんばらなくていい」 ときこえる。また満ち引きを続ける。「無理して宇宙とつながらなくていい」さらにつづく。そして「わたしわたしわたしわたしわたしわたし」という強いことばと共に、これまでで一番の刺激、膣の吸引力によって、指がとてつもない速さで動く。大声とともに涙も溢れ続ける。「ああああああああ」。そして膣が「べぇー」ってするかのように、強烈な押し出しをしてきて、指が吐き出される。果てて、しばらくその余韻にひたる。落ち着いてもクリトリスへ向かいたいと思えなくて、からだもうごかなくて、そのまま休んだ。

3日目
お風呂上がりに、一息ついて、こどもが寝ている寝室で秘儀をはじめた。リビングはひとりの空間になるけど、天井が高いのが落ち着かなくて、自宅の中で天井が低い寝室がしっくりきた。今日はこもりたい気分で、洞窟みたいな空間でしたかった。私は環境の影響を受けやすいので、自分がそのとき満たされる空間を自宅の中でいかに作れるかが、秘儀をより楽しくスムーズに行える鍵になる。秘儀空間を自宅に作ろうと思う。座位になってはじめようとするも眠い‥。こどもを寝かしつけて、よる秘儀をするよりも、昼間や朝にするのが、いまの私に合っている気がした。気持ちを切り替える為に、気光天の前に、呼吸に意識を向けた瞑想をするも、やはりからだが動く。これはなぜなのかと考えはじめてしまったり、首が後ろにガクッと倒れ続けて、この体制がきつくて、なんだかどっと疲れてしまった。次回は、気光天以外の瞑想はせずに、すぐに気光天からはじめてみようと思う。

気を取り直して気光天へ。前回までは、天からの黄金のエネルギーが全然みえなかったけど、エネルギーもうっすら見えて、たくさん流れ込むのを感じられた。光はまぁまぁみえる。天のビックバンのイメージは鮮やかに訪れない。まどろんできたので目をゆっくり開く。すると両手がゆっくり動き出して、おっぱいを優しく包んだ。手がおっぱいを感じ、おっぱいもてを感じ、それぞれが感じ合って、さらに深く感じる。「はぁ〜‥」。そして手は腹部へ。両手で子宮のあたりを包んで、それから右手がくるくる腹部を右回りでなでる。撫でながら愛おしくなってくる。

秘儀をしながら「レポート書くのに、覚えておかなきゃ」と、思考がはたらいてはたらいて集中できなくなってきた。「真面目だな〜」と思う。ずっと嫌だと思っていた自分の『真面目さ』2日前に、それを本当は愛おしいものだと思っている。自分がいることに気がついた。これまでエゴにの方の声を信じてしまっていたんだね。「真面目」をぎゅぅ〜抱きしめる。そしたら、なんだか楽しい気持ちになってきて、前回の懇親会のときに、聴こえてきたリズムと共に、アダムタッチをはじめた。こどもが無邪気にするような感じで、気持ちいいとたのしいが共存していた。今日は下半身のアダムタッチが多めで、右足が気持ちいい。

そのあと陰部へ。クリトリス下辺りのとろとろした柔らかいところに、やさしく指をあてるだけで、ものすごく気持ちいい。動かさないことが、こんなに気持ちよくて解放されるなんて、びっくりする。気持ちはよかったけど、今日はエネルギーが上に抜けていく感覚もなく頑張ることもしたくなくて、きょうはもういいと自分で秘儀を終えた。

4日目
昨日から生理になった。いつもより腹痛が強く、血もどろっとしたものが多かった。秘儀をはじめてから、自分を感じる時間がとてもたのしくて、秘儀はおやすみしたけど、瞑想や第3チャクラのお手当をしていた。昨晩は生理4日目で出血の量は減っていた。秘儀をするか迷っていたけど、寝る時間が近づくにつれて、「秘儀したい秘儀できるー」とわくわくしている自分がいた。かわいいなって思った。どこでするか特に悩みもせず、こどもが寝ている寝室で真っ暗の中始めた。

座位になって呼吸をしただけで、はぁもう気持ちいい。気光天瞑想は、グラウンディングしていくのが気持ちいい。自分の下をエネルギーが抜けると同時に、周りにクリスタルブルーの地面が広がっていく。今日の気光天瞑想はきらきらしたものではなく、静寂を感じる。でもさびしいものではない。なにもないようで、とてもみちている。その静寂にとどまり、アダムタッチをはじめた。今日は目がひらかない。頑なに瞑り続ける。これまでよりアダムタッチを感じた。思考がはたらいても、静寂と共にありたくてそこに戻ると、自然と流れてきえていく。感じることにとても集中していた。時間が許すなら、いつまでもできそうなくらいだった。途中こどもが寝返りがうまくいかず泣いた。それでもそれも心地よくて、こどもを感じながら自分を感じ続けた。声はそこまで大きいものが出ていないかった気がする。わたしは演技がからだに染み付いていて、秘儀をしていても、自然な気持ち良い声にからんでくるように大げささが纏わり付いてくることがある。

呪いはとても強力。その呪いから放たれたい。いつもどんなときも素直でいられる自分に戻りたい。お腹のあたりをアダムッチしていると、あかいような赤が混じったオレンジのような色が見えたけど、見え方がこれまでと違って、今までは瞑った状態の肉眼で捉えている感覚だったんだけど、こころで捉えたという感じだった。ジョイパールへオイルをつけるときも、絶対目はあけたくないようで、暗闇の中、手探りでオイルを探しプッシュ。なかなか上手だった。どんどん繊細な感覚を感じ取れるようになっている気がした。動かさないとき、微動なうごきのとき、とてもとても感じる。下から上にコリっと撫でるのが気持ちいい。語りかけるように、よしよしするように、ジョイパールを愛でた。上に突き抜けてイけるような感覚はなく、膣の中が疼いてどうしようもないような感覚にもならず、その繊細を感じていることがここちよかった。徐々に感じ方が鈍ってきたので、もういいね?てジョイパールに聞いて、意義なしだったので秘儀を終えた。

5日目
こどもを寝かしつけているときに、秘儀をしている自分がみえた。「あ、今日はここに座ってこの向きで秘儀するんだ」。これまで未来?の自分がみえたことはなかった。不思議な感覚だった。そしてからだが黄金色で満たされているのもみえた。「これわたしのからだかな?」。秘儀のはじまりの前に、寝ころがり外に向いていた意識を内へじぶんを感じる。寒さと子供の抱っこでからだが凝っていたのでストレッチ。ストレッチも以前と違ってとても自分に意識が向いている。自分を労って愛でてあげることが、日常の中でも少しずつできるようになってきている。座位になり∞をイメージする瞑想をした。首がまわったり、左右に揺れたり、円運動をしたり、動くことに、なぜと考えず身を委ねた。この動きは、自分のからだをほぐして癒している気がする。動きがとまったところで、そのまま気光天瞑想へ。なんど繰り返したか覚えていないくらい没頭した。とてもとても気持ちよかった。天から流れてくるエネルギーを全身に浴びるように受けとった。滝のようなところで水浴びしているようだった。そのエネルギーを存分に受け取り、トーラス・黄金の光・ビックバン、変容しわたしの中からあらわれる。疑いなく自分から生まれていると思えた。ビックバンはこれまでイメージが浮かばなかったけど、上方にあるチャクラから順番にあらわれた(明らかにくっきりとではない)。第一チャクラがあわられると、下腹部全体に重みを感じた。気光天をつづけていくと、ビックバンの後、下の方が白く光り輝いてきた。そこで気光天を終えてアダムタッチへ。

とても繊細に感じる。丁寧に丁寧に自分へタッチしていく。意識しなくてもそうしてしまう。そして自然と腰が前後に動いていた。背中へお尻へタッチ、腰を動かしつづける。いつもよりオープンで大胆だった。でも荒々しい激しさではなく、みずみずしくて清らだった。自らの手で自分を愛して愛して、愛されながらどんどん解放されていった。おっぱいがとても感じて、だれかにさわって欲しいと思った。そう思っていたら、アダム先生の笑顔が浮かんできた。アダム先生に触って欲しいと思った。(書こうか迷ったけど‥、ありのままを記録しておきたかった)。触ってもらっていると思うと、またさらに感じて解放され大胆になっていった。そのうちに先生は消えていなくなってしまって、代わりに青い存在がそこに表れたように感じた。太ももとお尻の境目のアダムタッチを猛烈に感じ、ジョイパールへの愛撫へ移った。これまでのジョイパールは、繊細にやさしく触れるのがとても気持ちよくて、はげしく刺激すると、シーンと静まり還ってしまっていた。今回は激しく刺激することを愛でる手はたじろわずつづけた。そしてジョイパールもそれを受け止めようとしていた。

そこで、気づいたことがあって『激しく攻められるとわたしは顔が歪み、からだもこわばり緊張する』『攻められる』。わたしは激しくされるのを『攻められている』と思っていること暴力的なことをされていると思っていることに気づいた。だから、ジョイパールを刺激つよめに愛でると反射的に顔が歪む。「だいじょうぶ。こわくないよ。心配しなくていいよ。」って言った。「攻撃じゃないよ。あなたを解放したいんだよ。」と。ジョイパールは何かトラウマを抱えている(ジョイパールはわたし?)。でもそれを少し知れたので、次回もまたやさしく語りかけながら一緒の時間を過ごそうと思う。気光天、アダムタッチの捉え方感じ方からすると、ショイパールへの愛撫はそこまで高みにはいかなかったし、イクことはなかったけど、確実に変容していっていることを感じた。

6日目
昨晩した秘儀。今回もこどもが眠るとなりではじめた。気光天瞑想は胸の領域の広がりをとても感じた。天から流れてきたエネルギーが第4チャクラでどんどん拡散していく感じ、気光天をつづけていくと、静かな空間へたどりつく。だいすきな空間。気光天を終えても気が済むまで、その空間にしばらく浸る。そして、動き出すのを待つ。「・・・・・・・・・」。なかなか動き出す気配がない。いよいよどうしたいか聞いてみたら、『ショイパールに触れたい』とのこと。「アダムタッチなしで‥??」いいのかなと思ったけど、正しいことより今の気持ちが大事だと思って、聞こえた気持ちの方を選択した。

触れる前に「大丈夫。なにも怖くないよ。心配ないよ」て、語りかけた。ジョイパールに寄り添いながら触れた。『起きる状況をじぶんで歪めず、思い込みに支配されず』。そんな言葉が浮かんできた。生まれてこの方はじめてのジョイパールへのはげしめの愛撫(はげしいのも愛撫って言うの?)。やさしくではなく、あえてつよく激しく刺激したように思う。上に昇りつめていく感覚を鮮明に感じたけど、イクことはなかった。

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秘儀を6日間して思うのは、今のところ、私はそこまでイクことに拘っていなく、様々なプロセスを楽しんでいるように思う。秘儀の一連の流れがあって、クリトリスでイクというのがポイントなのは理解しているし、そこを目指してはいる。でもいまは、あたまで考えてうしたい?どうしようか?ではなく、内から湧いてくる想いに従うこと。これがいま私が大切にすることだと直感している。自分でもなぜなのか理解できない行動もあるけど、それを理性でジャッジメントしないでこのまま続けていきたい。

7日目
こどもが早めに眠って、気持ちに余裕をもって秘儀をはじめられた。気光天瞑想。ぜんぜん集中できない。なにも感じない。アダムタッチ。なんかもう満たされているし、そんなにしなくてもいいかな。ジョイパール。とろとろしている。うごかさないのが気持ち良い。でも気持ち良さはそのうち収まっていき、触れていても感じなくなっていった。なぜこんな風になるのは自分でわかっていて、自分の中にある神観と講座で伝えられた神観の違いに、混乱気味になっているから。アダム先生が講座中におっしゃった、「自分の価値観はひとまずおいておいて、ここでの教えをとりあえず全部受け止めてみる」というのは、とてもありがたいお言葉で、その言葉をもらえたから、講座の学びを一心に楽しめていた。秘儀をしていく中で、より神を意識していく中で、やっぱりそこがひっかかってきている。ここでこんなこと吐き出していいのか。迷ったのだけど取り繕っても仕方ないので書かせてもらいました。でもここの講座に参加したのには、自分のちいさな意志とは別のおおきな存在のはらたきを感じているので、わたしのちいさなあたまでこねくりまわしてごちゃごちゃ考えず、ただ無心に真摯にやっていこうと思います。

8日目
昨日の秘儀レポートで、いまの自分のこころの状況吐き出せてすっきりして、気持ちを一心して秘儀にむかえた。とにかく想像や思い込みに紛れないように、常に集中してみようと思った。先日夫としたセックスのときのように、ただ感じることに集中したいと思った。気光天瞑想は、色やイメージはみえないんだけど、3巡目くらいで、猛烈に感じて膣がうずいて座っていられないくらいになった。もじもじざわざわした。アダムタッチは、座位からはじめて途中から横たわった。セックスしている気持ちになってきて、またアダム先生が浮かんできた(いつもお世話になっております)。なぜ先生が浮かんでくるのか。他に好きな俳優さんを想像してみたけど、それだと冷めてきてしまう。受講生のみんなともそのように、過去生の縁がきっと影響しているんだと思う。

陰部へ手のひらをあてただけとても気持ちよかった。ジョイパールは、スピードをはやめた。刺激も以前のように強張らない。今回はイクことを求める自分がいた。イキたいくてイキたくてたまらなかった。体制を変えたり、アダムタッチを盛り込んだり、膣への愛撫もしてみたり、自分なりに試行錯誤して愛撫した。でもどうやってもイケそうになくて、諦めて秘儀を終えた。そのときに『悔しい』って、イケないことに、ものすごく悔しいと思っている自分がいた。悔しい?!何かに対して悔しいなんて思うなんて、自分が記憶する限りでは、幼少期に遡るんじゃないかというほど感じた記憶がなくて、感じても感じてないふりをしてきたのか。とにかく私には馴染みがない感情だった(その時にくやしい感情をもっと感じて寄り添ってみることをすればよかったと書きながら思う)。いまも特別になにかを思い出せなくて、でもなにかがありそうな感覚があるので今後の秘儀で探ってみようと思う。ごまかさないで繕わないで、あるがままを感じようとした秘儀は、とても集中したものでたのしかった。自分のからだへの愛撫のしかたをもっと研究してみようと思う。イクことができるように。

9日目
私はからだの感覚が鈍いわけではなく、感じる力もなくないけれど、自分で自分のからだを知ろうとすることをしてこなかった。どうすると喜ぶのかまだ知らない。それは日常生活でも一緒で、感受性が強すぎて、外の世界を敏感に感じ取りすぎて、外側を大切にしようとし過ぎて、幼いわたしは感じたことをねじ伏せてきた。ずっと自分をおざなりにしてきて後回し後回し、子育てがはじまり、自分の時間が一切なくなって限界に達し、自分を大切する努力をしないといけないことに気づいた。秘儀は本当に、自分のありのまんまがでると思う。今までも日常的に内観はしてきたけど、からだをつかっての内観は、核へたどりつくスピードがはやいのではないかと予感する。

今回の秘儀は、感覚を研ぎ澄まし集中すること、わたしが喜ぶことを探ること、これを意図してはじめた。気光天での気づきはこれまで自分は、内ではなく外にイメージをつくりあげていたのではないかと思った。秘儀を続けてきたおかげで、外にいきがちな意識が、内に向きつつあるのかもしれない。気光天の余韻を感じ、ゆっくり目を開いた。さぁはじめよう。わたしはどうされるのが気持ちいい?子宮と胸のあいだに手がいく。ゆっくり自分を感じる。アダムタッチをはじめると、古代の音楽が自分の中に流れた。アダムタッチの気づきはなんなくの自己流でやっていたかもということ。なんとなく気持ちよくなるには、こうかなって自分の考えでやっていて、教えられた通りにやっていないことに今更気づいた。そしてやりながら「そうかこれはカーを開いているんだ」ということが浮かんできた。

意識を集中して細部まで、全身にアダムタッチをした。いざジョイパールへ。気持ち良いけど、やはりイク感覚はない。ここでまた気づきがおきて『あ、ジョイパールは着火剤だ』。エネルギーが満ちていないのにいくら愛撫してもイクわけないよね、とようやく気づけた。呼吸法とアダムタッチをもっと大切に取り組まないといけないことがわかった。

10日目
もう一度テキストを読み返して初心に戻って取り組もうと思う。講座で秘儀がやっぱり自己流になってしまっていたとわかる。翌日の勉強会では、みんなでジョイパールを愛撫するときの体勢や愛撫の話をしていた流れでイケない理由がひとつわかった。わたしが中々イケないのは、幼少期からしていたジョイパールへの激しい刺激の為だったということ(もう雷が落ちたような衝撃だった)。その刺激に慣れてしまって感覚が麻痺してしまっている状態なんだと思う。もっと寄り添ってジョイパールを癒してあげたい。

夜に秘儀をした。気光天瞑想は30分を意識してみる。色もビジョンもなにも見えないけどどんどん意識が拡大していく感覚がある。そしてある段階で何もないところへいく。こどもの寝返りで我に帰り、アダムタッチへ。きもちいいんだけど、なにかがちがう。快感が弱い。オーガズム呼吸法をしてみるけど、丹田にエネルギーが溜まる感覚がしない、わからない。私はアダム先生のエネルギーワークで、わかりやすくカラダが反応するけど、気持ち良い感覚も、気持ち悪い感覚もどちらもなくて感情がそこにない感じだ(上手く言えないんだけど)。エネルギーを上手く巡らせる能力不足なのかもしれない。あとは、長い間、感情を押し殺して生きてきた為に感情感覚が麻痺しているのかもしれない。

カラダが燃えていない自覚は、あったけどジョイパールへいってみる。ジョイパールの下側は、繊細な愛撫でものすごく感じるのにジョイパールはそこそこの快感。素敵なオーガズムをたくさん体験している。講座仲間がイクのに20分かかると言っていたのを思い出し、20分愛撫してみたけど着火せずおわる。まだまだ純粋なクリイキまで、道のりは長いのかもしれないけど、深い気づきが起こり色々と自分がみえてきた。

11日目
秘儀をはじめるまえに、アネモネを読み返していてアダム先生の「高い波動のポジティブな意識で触れること」というのがこころに反応したのでそれを大事にして秘儀を行った。気光天瞑想は、気・光・天をまず一つずつをしていくというもの。最近は天からのエネルギーが第4チャクラで拡大する感覚がある。先日のアダム先生の性エネルギーのワークのときに第一チャクラが反応していなかったのに気づいた。他はわかりやすく反応していたので、気光天では第一チャクラにより意識を向けた。すかすかだった第一チャクラが満ちて重たくなる感覚がある。

今日はよくからだが動いた。ただこれまでと違うのは、これまで動くのは、上半身だけだったけど今回は下半身も動いた。ちゃんと第一チャクラまでエネルギーが流れているからなのか、気光天瞑想で拡大しきったなと思ったところで「高い波動のポジティブな意識」をイメージして感じる。すると感じて声がでる。陰部も疼いてくる。自分のからだに触れなくてもすごく感じて気持ち良い。気持ちよくていつまでもいたくなる。アダムタッチへと思っても手が動かない。どうしようと思っていると「肉体ではないから」と聞こえる。

秘儀の正しい流れを守ると決めたばかりだけど、そのままジョイパールへいってみる。宇宙の意識に留まりながら触れる。これまででの秘儀で一番感じていてイクそうな感覚がある。指も自然とはやくなる。いけるかもしれない。というところで皮が被ってきてしまう。あー皮むき器欲しい。そのあともしばらく触れていたけど気持ちよくて上に突き抜ける感覚はあれど、抜けきらないで戻ってきてしまう。気持ち良さも沈んできたので、秘儀を終える。そのまま横になって目をつぶる。秘儀の余韻を感じる。講座の日の秘儀から、秘儀後に目をつぶるときらきらと閃光がはしる。

12日目
今日は久しぶりに昼間に秘儀をした。気光天瞑想はグラウンディングがよくみえる。はじめはすーごく細い柱。弱いなぁ。回数を重ねるごとに太く強くなって全ての領域へ広がる。イメージの力ってすごい。逆に普段わたしは、自分にどんなセルフイメージを、与えているのか。天から流れてくるエネルギーがテキストの絵のように螺旋を描いて流れこむ。それを受け取る。わたしのからだも右回転を描き、全身へ流れていくのがよくわかる。色やビジョンは見えないけど、エネルギーの流れを以前より捉えている。気光天後に宇宙意識のもとへ。宇宙意識を感じながらからだをアダムタッチしていく。今日はとても声が出る。やっぱりこどもが寝ている側だと、無意識に抑えているのかもしれない。もったいない。足の裏をアダムタッチしたときに、ガジュマルの木が見える。とても大きなガジュマル。すると、大声を出して泣き出した。「あぁぁぁぁぁ‥」。とても辛そうに泣き叫ぶ。久高島へ行ったときにみた景色が流れる。泣き叫びは続く。見えるもの自体は目で見る限りではただ自然の景色。でもなぜかとてもつらそうな泣き方だった。それから友人の歌がとつぜん流れてきた。いのちの根元と繋がる歌い手の歌。その歌とともにまた泣く。「あぁぁぁぁぁ」。吐き出しながら泣く。わたし自体はなにが悲しいわけでもない。なにが苦しいわけでもない。でも泣いている私の姿は、とにかく辛そうでそれを感じながら泣いているようだった。でも泣くことでそれを吐き出しているようにもみえた。泣くことが収まって、しばらく毛布にくるまってその余韻を感じる。

「大丈夫。何も怖くないよ。大丈夫だよ。本当は何もおきてないよ。」と言ってみる。大きなガジュマルの下で手を広げて立っている。人の姿がみえる。わたしなのかな。ジョイパールに触れてみる。すこし触れたところで、膣の中へ手が流れていった。あるポイントで、そこをほぐしていくように手が動く。大きな声がでる。解放していく。ジョイパールへ戻る。感じるけどイク感覚はおとずれない。しばらくふれて、もう終わりしようと思って、ジョイパールに「愛しているよ」と言った。先日の勉強会で自分がイケない理由のひとつが仲間によって解されて自分が溶けて深いところから涙がでた。最後みんなに見送ってもらう時に「愛している」ということばが自然とでてきた。「愛している」はずっと言えなかった言葉。それを知らないのに、使うことなんてできない。そんな簡単に言えるものじゃないというのが自分の中にあった。言っても言った後にスカスカで嘘くさくて気持ちが悪くなった。でもあの日から言えるようになった。「愛している」の意味はわからない。いいながらも愛がどんなものなのか、ことばにして説明はできないけど、でも確かに自分の中にそれを感じられるから言える。

秘儀後に強烈な腹痛がきた。おなかを下す。冷や汗がダラダラでて、気を失いそうなほどだった。手も痺れて硬直する。肋骨のあたりの細胞がぎゅーと絞られている感覚があった。食べたものではなさそうだし、暖房で部屋はあたたかかったし、その1回限りだったので腸炎とかでもないと思われる。出しきったあともからだに力が入らなくて生活困難レベルだった。自分的には浄化なのではないかと思う。

13日目
わたしはイカない。どうしていかないのか。幼少期からしていたハンドデンマのおかげで、繊細な刺激に反応しなくなっているというからだ的な要因だけなのか。なにかを頑なに、握りしめているのか。子供の送迎帰りに、イカないことについて考え出した。『何かを握りしめている』。気になったので帰宅後にさっそく秘儀へ。

氣光天瞑想はこれまで百会を意識していないことに気がついた。百会からエネルギーが流れ込み中脈を通って仙骨へ。これを改めて意識すると、仙骨が地面にしっかりつく感覚がって安定した。薄いながらも白以外の色もみえる。『白は浄化の段階』だと、講座生のレポートから教えてもらう。わたしが見えるものは、今の段階では白みがかっている。思考がよぎらなくなる。ところまできたら目を瞑ったままアダムタッチをはじめる。おっぱい、手、首、胸、おなかを円を描いて触りながら訊いてみる。なにかを握りしめているの?なにを握りしめているの?「見栄」。見栄の他にはなにかある?「・・・」おなかをアダムタッチし続けながらさらに訊いてみる。見栄を握りしめているの?するとぼんやりとだけど、ちいさなおんなのこが、両手で大事そうになにかを抱きかかえている。姿がみえる。たぶん抱きかかえているのは『見栄』なんだと思った。そしてちいさなおんなのこは、きっとわたし。どうして見栄を握りしめているの?「お母さんと繋がるものだから」。涙がでてきた。泣き出した。泣き叫んだ。『お母さん』て聞いたら泣けてきた。私の母は、見栄っぱりな性格だ。大人になるとその性格にうんざりすることもあった。そんな母と同じものを私は引き継いでいた。

そんな自分がいるのに気づいて、手放してきた。でも確かにまだ『見栄』は私の中に存在している。大事そうに抱えている『見栄』は、お母さんと繋がるものだからだから大事に抱えている。私は子供の頃兄弟の中で自分だけ大切にされていないと思い込んでいた。母の愛を求めていた。ちいさな私が『見栄』を抱える理由がおかあさんと繋がるものだから、そのちいさな私の、なんの曇りなくおかあさんがだいすきでだいすきで仕方ない。まっすぐな気持ちに触れると、涙がどんどん溢れてきた。私自身がこどもを産んで、いま育てているからわかる。こどものまっすぐさ、だれがどんなことをしようとも責め裁くことのない。ちいさな私もそうだったんだね。「それ手放してみる?」。ちいさな私はすごく迷っている。またぎゅうって抱きしめたり、うえに持ち上げてみたりしていた。その姿が愛おしくて、涙がとまらなくて、わんわんこどもみたいに泣いた。「おかあさんおかあさん」って泣いた。手放す姿はみえないままちいさな私はみえなくなった。ジョイパールに触れたらまたなにかわかるかなと思って触れてみる。なにもおこらない。なんでイケないのかな。思考がはたらいてくる。ここまでの人生ひとりで抱えて頑張り過ぎだったんだから、イクことは夫に甘えてもいいんじゃないかなんて思いがよぎる。でもしばらくすると、いや、自分でイカないとと思う。

さぁ、どちらが神の声か。なかなか諦められなくて、ながくジョイパールに触れていたけどちいさな私の姿を想い、また会いに行くねと伝えて手を離した。秘儀でイかずに終わるというのはどういうことになるのだろう。宇宙に打ち上げられてないから、まだ自分の内に止まったままということになるのか。勇気、信頼。これがわたしに必要なこと。

14日目
一昨昨日の夜はこどもと一緒に寝落ち、一昨日は秘儀の途中で寝落ち。最後の秘儀から猛烈な眠さがある。おなかの調子も崩れている。こどもにすごくイライラしてしまうし、からだもだるい。何かに囚われているのが苦しい。過去の思い込みや感情に囚われていて、それが外側の世界に映し出されているんだと思っている。からだがこういう状況になると、とにかく頭で考えてしまって、こころからの行動ができていないことに気づく。物事を複雑にさせてしまって、本質がどんどん見えなくなる。でもいま起きているこの状況も、必要なプロセスなんだと思って、悲観的にならず否定せず、目の前に起きていくことを神の意識でみることを意識したい。

昨日の秘儀は心地よさを感じなかった。氣光天瞑想は拡がっていかない。呼吸の収縮と拡散もちいさい。からだがぴりぴりざわざわして気持ちが悪くなってきた。瞑想し続けるのがつらかった。アダムタッチで解放を感じる。でもなんだろう。気持ちがのらない。流れにのっていけない。ジョイパールに触れるとうごかずにいる方が大きな声がでる。越えようとしていない。ちいさな世界にとどまっている。そんな感覚がした。

15日目
今日は昨日までより比較的穏やかに子供と過ごせたけど、わたしの被害者意識がまたはじまった。自分を被害者にして相手を裁く行為。自分がずっと被害者意識で生きてきたのに気づいたのは2年前。夫と夫の娘との生活を通してだった。それを手放す日々を送ってきていたけど、秘儀をはじめてからまたそこが炙り出されているのだと思う。わたし焦っている。頑張ろうとしすぎていた。何かを得ようとして必死になって大事なものを見失っている。そう思った。

地に足がついていなくて、不安定になっていた。秘儀がわたしにとって、苦痛なのもになっていた。なぜわたしは秘儀をする?それは、全てを赦すため。純粋な非二元の世界をいきるため。神との一体性。もっと軽やかに行こう。こどもが早く寝て、夫の帰宅まで時間があったので、2時間ほど時間ができて、秘儀をしたいと思い、家事を後回しにはじめる。わたしのからだはリラックスしていない。これまでの思い込みで、頑なに固まっている場所が沢山ある。氣光天の前に弛緩をしてみようと思った。目を瞑り呼吸をしながら、かだらのいろんな場所を緩めていく。そしてそのまま氣光天へ向かった。天からのエネルギーを、もっともっともっともっともっと高いところからのものと、そこを意識し続けた。

目指すのは空の世界。そうだった。氣光天は空の境地へいくんだった。最近忘れていた。氣光天を長くづつけると、アダム先生にエネルギー伝授を受けたときのように眼球が痙攣したようになった。目を瞑ったままアダムタッチへ。手がわたしの手ではないと思えた。この感覚はひさしぶり。今日は丹田呼吸ができている。これまで秘儀の最中に丹田呼吸をうまく流れに組み込めていなかった。膣?子宮?にすごくエネルギーが溜まっているのがわかった。

ズボンの上からジョイパールに、右手でやさしく触れて氣をおくる。すごくすごく感じる。そしてゆっくり左手も右手にかぶさるようにそえる。うごかさなくてもすごく感じる。むしろ動かさない方が感じる。丹田呼吸をしていく。だんだん爆発しそうになってきて、どうしたらいいの?!これはいくの?どうやっていったらいいのー?!!助けてよー。助けはわかりやすくこないけど、とりあえずこれ上にあげればいいんだよね。自分でふぅううううんんんんんんんん!!!!上げることを意識してそのあたりからあまり覚えていないんだけど、下にあったものはとりあえず上にいった。呼吸がはぁはぁして、しばらく放心状態になった。これはイったのかな‥?イったことがよくわからない。イクなんてないのかな?明らかにイキました!と、自信を持って言えないし快感、悦びの境地ではないけど、とにかくいままでとは違う体験をした。氣光天で空をめざすこと。丹田呼吸法をすること。ジョイパールへのエネルギーの送り方。この3つを意識して次回の秘儀をしてみようと思う。

16日目 
氣光天で空をめざすこと。丹田呼吸法を意識的にする。ジョイパールへのエネルギーの送り方。この3つを意識して今回は秘儀をしてみる。目を瞑り、深呼吸を3回ほどしてから、氣光天へ。今日も空をめざす。気光天の間あいだにゆったりと呼吸して、その時その時を丁寧に感じて、意識を上へともっていく。都度、次元の変化を丁寧に感じる。ある段階にきてさらに上へいこうとすると、からだの芯が身震いするように嫌悪感が身体中をめぐり、上へいくのを拒む。気持ちは上へいきたいのに、なんどか試みるも、バリアのようなのもがある。わたしの無意識が拒んでいる。ホメオスタシスが働いている。そう感じた。限界を突き抜けようとしつつ、今の最大限い続けられるところに止まり、呼吸をしながらそこをひたすら感じる。そこからのエネルギーを満たされるまで浴び続ける。からだが緊張している場所を緩めていくように、アダムタッチをしていく。

丹田呼吸を意識していくと、エネルギーがチャクラに満ちて、さわらなくても声がでてしまうほど感じる。アダムタッチをしながら、エネルギーの流れに伴って、首や上半身が動く。我慢できなくなり、服の上からジョイパールに触れる。天からの黄金のエネルギーをもらい丹田で赤く変容する。アダムタッチのとき同様、エネルギーを受けたからだは動き続ける。くねくねゆらゆら。とても美しく官能的だと思った。エネルギーとセックスしている。エネルギーに愛撫されている。そんな感覚になった(もうこのあたりのことは明確な意識でいられなかったので、思い出して書ける範囲になります)。昨日のようにイキたくてどうしたらいいか混乱することはなくて、自然と右手の中指で洋服の上からのジョイパールを上下にはやめの動きで愛撫しはじめた。「あああああああああ」。これまでのセックスや秘儀では出たことのない高めの声をあげながら、リラックスした状態を保ちながらエネルギーは上へ流れていった。自分から出た、声にびっくりしたし、イクとかいかないとか、それを考えることもなく、エネルギーを感じて感じて、そうしていたら、自然と流れにのって、対応していったことにびっくり。気持ちいい波にのってのってのって、そしたら自然とイっていた。そんな感覚だった。波にのって波のリズムに声がのっかっていった。うたっているみたいだった。声とともに流れていったのもは、青くてみずみずしい、そんなエネルギーだったような気がする。

17日目
秘儀をはじめてからのどのできごとも必要なプロセスだったと思える。本来の自分を知りそこへ還るためのプロセス。神から離れたことはこれまで一度もなかったということを、こころから理解する。何かに怯えて、何かを求め彷徨うのは、本来のわたしではない。ぐちゃぐちゃな状況のとき、一度落ち着いて鎮まって内を感じると、わたしの中心深くに、ほんとうは何にも動じていないわたしがいるのを知っている。それが本来の姿。・・・。夜の寝る前に秘儀をと、思っていたけど、こどもが高熱をだしたので、こどもへ時間を捧げた。看病の合間に瞑想をして、そのまま寝落ちしてを、3回ほど繰り返した。

朝起きてこどもがテレビをみている隙に秘儀をはじめてみる。最初にみた天のエネルギーは、金と紫の細かい粒子だった。ゆっくりと百会からとりこむ。今日はエネルギーが、立体的に感じられる。瞑想のあいだに、2回こどもが様子をみにやってきた。瞑想で深い鎮静状態なので動じない。「もう少し待っててね」と伝えて、秘儀を続ける。アダムタッチのときにまたこどもがやってきて、そのあとも続けてみるも、お母さん役のスイッチが作動して、少しずつ深い意識から覚めてきた。そうなってくると、感じ方が浅い。この状態ではイクのは難しい。どうにかしたいと工夫してあれこれしている中で、イクことにこだわっている自分に気づいた。

イクのが良いこと。イクのが正解。わたしは正しいにこだわる癖がる。これは2元の捉え方だよね。手放そう。はだかになって、騎乗位をしているように、下からのエネルギーを感じているときに(これは気持ちよくてはまりそう)、またこどもの足音が聞こえきて、さすがにもう諦めて秘儀を終えた。途中でおわってしまったけど、胸のあたりが満ちていて、物足りなさは全然感じなかった。秘儀をはじめてから、第4チャクラの拡がりを感じる。

良いもの悪いものはなくて、体験がおきている。ただそれだけのこと。その体験の捉え方は自由意志に委ねられている。被害者を演じたり、罪人を演じたこともある。不感症を演じて嫌なことは感じないように、ごまかしてきたこともあった。でもそれでは救われない。真に自分を救う方法を知る必要がある。

18日目
氣光天瞑想をするとき、ひとつひとつの意識にとにかく集中する。すると感覚が研ぎ澄まされていく。エネルギーを繊細に感じ深い快楽へ沈んでいける気がしている。それからより高い次元のエネルギーを求めていくことで、下からの深いところからのエネルギーも生まれて、そのふたつがあって、大きな快楽の波がうまれるような気がしている。わたしが今のところ感じられているものは、まだまだ幼い快楽なんだろうなと思う。・・・。

昼間にまだ熱があるこどもを寝かしつけたら、いますぐ秘儀がしたい!と思って我が子が眠るとなりで開始。座って瞑想に入ろうとすると、クリスタルブルーと白く煌めくエネルギーをみる。うれしくなった。一昨日の秘儀で、青いエネルギーを感じてから、日常でも青がちらつく。とつぜん青がわたしの好きな色になった。氣光天瞑想ははじめから集中していけて良い感じ。どんどん拡大していく。エネルギーの質も心地よい。呼吸の吐き出しが、のびやかで、下への広がりが豊かだ。

こどもは寝たばかりだから、しばらくは目を覚まさないだろうと、安心感があるので、心配マインドが働かない。やっぱり集中できる環境は大事。氣光天の途中で、合掌をしたくなる。上と下に力強く貫かれるエネルギーの真ん中を感じる。きゅるきゅるきゅる〜と中心部分が締まって圧縮される。それを感じることに集中。すると膣から、つぅーっと、エネルギーがゆっくり上昇していく。百会からぽっと抜けた。ひとつひとつを丁寧に感じきる。そして次の流れをまつ。すると水の中にいるという感覚になる。水浴びだ!アダムタッチは水浴びするようにみずみずしく煌めくものをからだ中に流し撫でた。とくに今日はおっぱいが気持ちよくて、両手で包んでもみあげる。わたしのおっぱいもみずみずしくて張りがあった。変化していた。

ジョイパールへの愛撫のときも、おっぱいに触れ続けた。ショイパールに触れながら、おっぱいを愛撫するのははじめてだった。今日の秘儀は爽やかで迸るエロさがあった。仰向けになり、手でおっぱいをもみながら脚を左右に全開にしてジョイパールを愛撫していると「ミルク」と聞こえてきた。息子が起きる。息子とわたしは逆向きに寝転んでいたので、息子にみえるのはわたしの全開のお股。はじめて見られちゃった。ちょっと照れたけど、恥ずかしさや罪悪感はない。息子とはセルフラブについてオープンに話せる関係にしたいと思っている。そこがオープンに話せるのは、すごく解放的で、人との関係性を深く築く土台みたいな要素を感じる。

19日目
秘儀の前にふとアネモネの宇宙人とのセックスの話が浮かんできて読んでみる。講座に参加をする前の自分は、宇宙や宇宙人にそこまで興味はもっていなかった。自分とは縁のないことだと思っていた。でもいまはこれまで過ごしてきた日常よりも身近なことに感じている。不思議。時はきたれり。 神意識の重要性。それがないとただの気持ちいいで終わってしまう。高次元や宇宙とつながっていくという意識でおこなうこと。女性はテクニックよりもからだと霊性を開発して、ただ感じているだけでいい。

『神意識』『高次元や宇宙とつながる意識』『ただただ感じていく』この3つは本当に重要なことだと。秘儀をしていく中で私自身の体感で感じている。自分が進んでいく方向を確認できた。感謝します。今日も寝る前の秘儀。氣光天瞑想のときに、松果体にも意識を向ける。瞑想中に上方へスピードをあげてトリップしていく感覚があった。それに合わせて、からだも上に引き伸ばされていく。ただ、今日は下にのびやかに拡がっていく感覚が薄い。瞑想後もエネルギーの波は穏やかで、ここから深く官能していけるかと不安がよぎった。でもそうか、オーガズム呼吸法があるではないか。アダムタッチを始める前に、オーガズム呼吸法だけをしてみる。すると快感の波が起こってきた。すごいすごい。アダムタッチをはじめる。足の裏がもうたまらなく気持ちよくてたくさんタッチをした。お腹や胸をタッチしているときに『愛おしい』そんなことばがきこえる。とても奥の方からやってきた。その、愛おしいは、ふくよかで満ちちてるものだったので、わたしは感心してしまった。こんなものがわたしの中にあるんだ。わたしの中に湧いているんだ。その言葉を感じることで、より感度が深くなっていった。

ジョイパールへ手がいく。オーガーズム呼吸をして、おっぱいを握りめる。自分の深部を抱きしめる。そしてより深みに入っていく。自分の真ん中が締まって、そして膨張していく。おとずれる快感をとにかくとにかく感じる。感じることに没頭する。そのうちに眼球が額をみるように上方へ引き上がる。目がぷるぷるぷるぷる白目で痙攣しているようになる。これは、はたからみたら怖い姿だと思う。これを美しいと思う。人はきっと神だ。額に感じるエネルギーはどんどん強くなっていった。赤くてバチバチしていて、ものすごく強いエネルギー。なにが起こっているのか、解釈したくなるけど、そこは考えず、とにかく感じることに集中。感じることに集中すると、手や指、からだはその時の良いように、自然とはたらいてくれる気がする。わたしはただ感じることだけに没頭していればいい。額の膨張していく。エネルギーを感じながら、昇りつめてイッた。

横になって目を瞑り余韻に浸っていると、額がピカーっと光ってひらく感覚がした。秘儀をとおしていろんなエネルギーに触れている。秘儀が何を秘めているのかの探求。秘儀でわたしを知っていく探求。わたしだけではできないこと。様々な存在に助けられてのこと。とても深い愛のもとで、秘儀はおこなわれているんだ。きっとその存在たちに感謝を伝えて次回の秘儀をしようと思う。

20日目
秘儀をはじめて、常に自己内観がおこなわれている。意識の変容がおこっているので、昨晩の秘儀でも時間的感覚で捉えるともうすごく以前のことのように感じる。秘儀に入る前にいつも助けてくれる存在たちに感謝を伝える。はじめから上半身の背筋が軽やかにすっと伸びる。自分の内に太い柱がある。初期の頃に比べて落ち着いてひとつひとつを感じられている。オーガズム呼吸法をすると、青いエネルギーはきょうもやってきた。クリスタルブルーに煌めくとても安心するエネルギー。アダムタッチをすると足先だけがとても冷たかったので、オーガズム呼吸をしながら氣をおくる。

自分で自分を癒すことができるなんて素敵なこと。わたしは今までそれを放棄してきていたんだ。もったいない。どんどん上方のエネルギーは拡大していった。そのエネルギーに、もっと触れたくなって、上に手を伸ばして思うままに踊るみたいにエネルギーを感じる。オーロラみたいにぼわぼわゆらゆらした。エネルギーがわたしを包み込む。色は白っぽいもの。ジョイパールに触れながらもっと感じていく。包み込むものはどんどん拡がっていって、このままイクんだろうかと、考えがよぎると、「そのままもっていたらいい」と、きこえる。「?」。そんなこともあるんだなと思いながら、声に従って手の動きを止める。しばらくエネルギーを感じ続けそのまま余韻に浸った。

秘儀においてイクのとイカないのではそれぞれどんなことがおきているんだろうか。きっとその秘儀の内容によって、イクことイカないこと、の意味合いは変わるのだろうけどいま自分になにが起きているのかもっと明確にわかっていけるようになりたい 。

21日目 
一区切りの21日目。とても素晴らしいギフトが与えられた。【自分を大切にすること】。これを真に努力することへの覚悟。秘儀を始める前にお手洗いにいくと「夜明け」ときこえる。21日目の秘儀はとても穏やかなものだった。はじめるまえに仲間の初回講座のときの姿が浮かぶいい笑顔、みんなありがとう。夫と息子。訪れてくれた存在たち。秘儀と秘儀を大切にしてきたものたちへ感謝を伝えた。みんなに感謝を伝えながら涙がでてきた。

抜けた天に白い雲が龍のように、くねくねと動いているのが見えた。その上に澄んだ青さが広がる。氣光天瞑想で印象的だったのは「光」の時、胸の領域から光がひろがり首が180度回転でゆっくり動いたこと。首が動きながらどんどん拡散していく様子と、その動きに委ねている感覚がとても心地よかった。ショイパールへ触れているときに、イルカが見えた。イルカの隣には女の人が寄り添っている。それを感じながらあまく淡くいった。

明けて朝方わたしの感情は爆発した。この数日息子との関わり方に悩んでいた。機嫌が不安定で当たり散らしてくる。息子の感情を受け止めきれずにいた。子供だから仕方ないと、もうそんな風に思えなくて、もうどうしたらいいかわからなくなっていた。心臓が痛い。ここ数日、息子の夜泣きで心臓に激痛がはしる。今朝はもう限界に達して、息子がどんなに泣こうがもう動けなかった。もう無理もういやだー。幸い今日は夫がいたので、夫に助けを求められた。夫が息子と起きてくれてわたしはそのまま寝室にこもる。泣きながらなんでこうなっているんだろう?

秘儀をしている。しているのに癒されていない。綺麗なエネルギーに包まれているのに、なんで日常はこんな?痛みを感じる心臓に意識を向けてみる。白くやわらかいエネルギーが円を描いて大きく広がっている。中心部分にいってみると、小さな白い球体がある。それに触るとカッチンコチンに硬かった。しばらくして起きて、洗濯物を干そうとすると、息子が邪魔をしてきてイラついてまた寝室に逃げ込んだ。泣いて息子が追ってきて、わたしも泣いて、息子の泣きにあおられてわたしも子供のように泣きじゃくる。ある意味、息子のおかげで思う存分に泣くことができた。 息子が泣き疲れて眠りについた後夫の部屋へいく。ソフアに仰向けになって休んでいる。夫の上に騎乗位で乗っかって、いまの自分の気持ちを話す。すると夫は言う

「さっちゃんは全部、息子に合わせて行動しているから疲れちゃうんだよ。」そうだった。自分の気持ちや、やりたいことは後回しにして常に息子のことを優先してきた。それでいいと思っていた。それがお母さんなんだとも思っていた。でもまず、なによりも自分のことをも大切にしていない。人間の優しさは、本当優しさではなかった。物心の付いた頃から、常に他人を優先してきた。その癖はかなり根深いものであまりにも自身に癒着している。あたりまえになりすぎて、そうしていることにそのときは気づけない。気づいた時にはもう限界点。これまでもそうだった。変わりたい。変わらないといけない。苦しかった息子との不具合はそこに気づかせようとしてくれた。とても素晴らしいギフトだったんだということに気がついた。

まぁなんとかなっていくだろうと、具体的な努力することなくそのまま放置してきた。でももう今回は絶対に変える。努力もしていけると思えた。なぜかというと秘儀をしていくなかで、何にも揺らがない、動じない力強い内なる自己に触れたから。それは深い愛をもっていた。それが本来の私だから。だから大丈夫だと思えている。秘儀のおかげ。この21日間の秘儀は、毎日起こる体験もばらばらで、具体的なビジョンをみたりということはなかったけれど、素敵なギフトが与えられました。後は自分が行動していくのみです。どうしても人と比べてしまったことはあった。苦痛になってきたこともあったけど諦めずに続けてよかったです。真摯に取り組んできた自分を素直に褒めてあげます。

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