アダム徳永の女神覚醒アカデミー

女神覚醒セッションレポート

アダム徳永から女神覚醒セッションを受けた女性のレポートです。

三橋早紀さん(仮名)/ 29 / 2

スローセックスへ。
もうこの段階で、意識はかなり開かれている状態だった。うつ伏せになり、アダム先生に触れてもらうと、作曲者も曲名もわからないのだけれど、あるクラシックの曲が私の口から出てきた。誰しもが一度は聴いたことがあるもの。明るい曲調のもの。やっぱりクラッシックは、宇宙的な音楽なんだと思った。「待ち遠しかった。」知沙季ではない、古い記憶がそう言った。

アダム先生と左手を繋きながら、背中に触れてもらうと、うれしさと懐かしさを感じた。少年のアダム先生のエネルギーを感じて、それをすごく懐かしい。と思っているようだった。「やっと逢えた。」という感覚も訪れた。「助けるためにきた。」という感覚もくる。でも『助ける』と言葉にすると薄っぺらになる。実際のそれはもっと奥深く豊かな質があるもの。アダムさんをサポートするためにきた。という感覚はとても強いものだった。

仰向けになりキス。「懐かしい。うれしい。」という感覚がきたと同時に、アダム先生にすごく触れたくなる。「癒したい。」アダム先生を癒したいという感覚がすごく強かった。ここの「癒したい」という感覚は、人間的エゴからのものではなく、高い意識次元からのものに感じた。触れてもらいながらも、アダムさんを癒したい。という気持ちがそこにあった。愛撫してもらうターンだけれど、アダムさんに触れたい。でも事は、アダム先生主導で進み、「癒したい」感覚は実現しなかった。

愛撫されて満たされつつ、でも満たされきれない感覚。愛撫されていて感じたのは、アダム先生と私の意識が、なかなか混じり合っていかない感覚。アダム先生の瞳を感じようとしても、繋がらない。お互いへの個人的な愛情が、そこにないからなのか。夫という存在が、今の私にとって最高であるからなのか。別の理由なのか。なぜなのか、まだわからない。

首筋を愛撫をされると、「わたしたち生命体は男と女のまぐあいで生まれる。」そんなことばがやってきた。大きな存在からものという感じだった。乳首への愛撫になると、突然不快感が襲ってきた。と同時に「これからは女が男にセックスを教えていく」という感覚がやってくる。

「アダムさんは、女性のからだをとおして、セックスを研究してきた。もしかしたらそれを一度、手放す必要があるかもしれない。」そんな感覚も訪れた。「女性たちが自らのからだを使って、男性にセックスというものを教えていく。そういう流れにある。」「もちろん今のセックスでも開かれる要素はあるけれど、それは完全ではない。」「女性たちみずから。というのが重要。」「男性に申し訳ないから本心は言えない。この意識は変えなければならない。変えなければならない。と言葉で言う以上に、本当にもっと女性たちが意識を改革していかなければならない。女性たちが新しいセックスの概念を創り出していく必要がある。」「だから、そのためにも、アダムさんの今までの技術を、一度手放す必要があるのかもしれない」という感覚だった。

クンニは、不快感はなく、クリトリスへの強い刺激も、頑張らずとも受け入れられた。夫やこれまでの男性のクンニだと、「もういいもうやめてー」となるか、イキきれずに不完全燃焼となるけれど、アダムさんのクンニはすんなり流れてきた。イキながら不要なものを吐き出していった。

クリトリスは、ある段階で、コネクトするための道具になった。高次の自分と繋がる道具。かなり強い刺激が、長い時間続いたけれど、痺れや痛みは、全くなかった。手足は全く動かず、力みもしない。全身の力は抜けている。あえぐ声は出ない。でるのはライトランゲージ。感じているけど、肉体の快感とは違う次元の『感じる』だった。

以下は、感覚的に捉えたもの。
「お互いが共鳴しあったときに生まれでるものがある。それぞれに適したパートナーがある。アダムさんとのセッションでもことは起こるけれど私には私に適したパートナーがある。適したパートナーとの間で、起こることは起きる」「アダムさんはすごく大変なとき。確かにアダムさんをきっかけに始まっていくことがある。でもやっぱりアダムさんはアダムさんのパートナーがいてそことの繋がりがとても大事。必要なことではあるかもしれないけど、ある段階でこれはいらない。それぞれのパートナーがある」
「でもやっぱり、私たち覚醒メンバーのキーとなるのはアダムさん。なぜなら、まだ伴う男性がいない。(おそらく意識的な目覚めのレベル。)男性の意識の目覚めが必要。自ら目覚める人もいれば、女性が鍵となって目覚める人もいる」

私の愛撫の番。
緊張は全くなく、楽しんだ。そこには悦びがあった。どうやったら気持ち良いかなと、考えることはなく、その時の感覚のまま、アダムさんに触れていった。オイルに手が伸び、素股をはじめる。素股をしながら私も官能する。アダム先生に跨り、腰を振りながら舞う。自己を表現することへの悦び。悦びの舞。『舞う』というのは、いのちにとって自然な行為だと思った。男も女も美しい。いのちは美しい。

アダム先生のペニスが入ってきて、ゆっくりと感じていった。交接が深まっていくと、膣の奥の方に『膜』のようなものがあるのに氣がつく。膜を突かれると、からだ的な痛みも感じるが、精神的な痛みの方が強かった。そこには悲しみが伴っていた。激しくその膜を刺激されても、その膜は簡単には破れない。激しく突かれるのを受け入れながら、苦しそうに喘ぎ、叫んだ。

騎乗位になると、一気に恐怖が襲ってきて動けなくなった。「ずっと待っていた。ここの膜がずっとあくのを待っていた。そこを超える準備ができた」「この膜はとても大事なもの」「痛いけど、そこを超える必要がある」そんな感覚を受け取る。

怖い‥。という思いがあったけれど、アダム先生の励ましに勇気をいただき、騎乗位で、膜開通の挑戦をした。怖さが先立ってしまい、腰を激しく振ることができず、アダム先生にサポートしてもらい、完全開通には至らなかったけれど「第一関門突破」をした。今回は第一関門突破で、十分だということだった。

以下、捉えた感覚。
そこを超えた奥にいいものがあるよ。でも焦る必要もないよ。夫も一緒に取り組んでくれるよ。でもたまにアダムさんにも協力してもらってね。アダムさん以外、それぐらいできるひとがいない。探していた。ずっとあなたを探していました。

わたしはずっと、アダムさんを探していたらしい。私がアダムさんに出会った理由のひとつに、この『膜』の開通があるようだった。アダム先生に、膜の存在をシェアすることで、これまで内奥深くに仕舞い込まれていたものが、どんどん表に現れてきた。そこにあった様々なものが私の中に広がり、それを感じると涙がでてきた。セックスに自分が開かれる鍵がある。という、予感のようなものが10代の頃からあった。男性と繋がったときに、もっともっと深く繋がりたいという感覚が、ずっとあった。でもどんなに、膣の奥深くまでペニスを突かれても、満たされきれずにいた。『膜』の存在を、今までのセックスで一度も感じたことはなかった。封印したんだよ。守るために。闇から守るためだよ。闇にみつかったら危険なもの。そこは光の世界だよ。

もう新しい時代。だからもう大丈夫だということはわかっている。でもその時の恐怖がとても強く、縛られ続けているようだった。これは私の過去生の記憶らしい。いつの記憶か辿ろうとすると、その記憶が苦しみだした。とても恐怖に支配されていた。いつの記憶なのか、口にだすことを、必死で止めているようだった。その記憶の言語はとても難しい言葉だった。「人間がまだ人間として存在する前の話」というのが口からでてきた。でもこの翻訳を素直に、そのまま受け取るのは違うとも感じる。いまの私にできる最大限の翻訳が、この表現だったように思う。みんなもっている記憶。記憶の星に保存されている。かなしい記憶。いまこの世界を生きる私は、あまりに哀し過ぎていると感じた。でもその私も、無意識の領域で、
この記憶にすごく縛られて生きてきたと感じる。

でももう解放してもいいとき。解放することで、光が入り込み解き放たれる。このセッションの半月後に夫とセックスをした。とても自然的にはじまったセックスで、深い静けさがあった。お互いが深い領域にいた。そんなふたりが愛撫し合うと、ゆっくりと更に深い領域に入っていった。その時にも『膜』の存在は確認ができて、私が誘導して、夫に膜を突いてもらった。膜を突かれていると、火付け石のイメージが視えた。二人で火種を生み出そうとしていた。突かれつづけると、私の両目脇に電流が流れているのが見えた。それは肉眼で見えた。からだもピリピリしはじめた。私の用事があとに迫っていて、時間を気にし出してしまうと、それまでの流れが途切れた。夫のペニスに勢いがなくなった。ふたりの意識も浅くなっていった。この体験は、私が求めるセックスへの、ヒントをもらった氣がした。

『膜』は霊的なもので、霊的な解放。女性性の解放だろうと、アダム先生はおっしゃった。『膜』はみんながあるそうだ。膜の手強さは人それぞれ。それは愛と勇気によって開かれるらしい。これまでは膜(真の女性性)を開くのはすごく難しくて、そのときではなかった。すぐにではないけれど、その解放は起きてくる。はじまったばかり。あらゆる場所で解放は起きていて、女神覚醒メンバーはそのひとつ、とても大事なものが奥にあるよ。とても素晴らしいものがその奥にあるよ。

レポートを終えるまで、ひと月かかりました。この感覚的に受け取ったものを、文字に起こしていくという作業は、気合いだけで進めることは難しかったです。セッション後は、無理に押し込めず、広がった意識と共に、日常を過ごすことを大切にしました。家族の前でも、ライトランゲージを出していました。家族はびっくりせずに、私の状況をそっと見守ってくれましたが、同居する家族との波長合わせや、夫との意識合わせが、スムーズに進んだわけではなかったので、そこに多少のストレスは生じました。

最近ようやく、私の中のバランスが取れてきつつあるように感じています。レポートを書こうとして、セッションの音声や動画をみても、すぐに言葉に落とし込むことが、できませんでした。なので、全てを文字起こしせずに、動画と音声中心のレポートでいこうと思ったときもあったのですが、何度も音声と動画を見ることで、何かが段々と見えてくるのを感じました。

徐々に文字起こしが出来るようになると、セッションでは捉えられていなかった、ものがそこに現れてきました。私が思っていた以上に、私という人間は、『性』の解放を熱望していました。解放の道を歩んでいくのは、とても自然なことだと理解しました。このセッションは、私が個人的に受けたものではありますが、私だけのものではないと感じます。全てのひとに繋がるものだと思います。それをシェアできることは悦びです。愛されています。愛しています。

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