アダム徳永の女神覚醒アカデミー

女神覚醒セッションレポート

アダム徳永から女神覚醒セッションを受けた女性のレポートです。

三橋早紀さん(仮名)/ 29 / 1

前日にアダムさんからメールが届く。うれしいと思った。待ち合わせ場所の奥の席で、カラフルな上着をきたアダムさん。笑顔をみて一安心。優しさと強さと清らかさに、変わりはなかった。それはすごいこと。ぶれない精神力。意思の強さ。躍動する生命エネルギーがそこにはある。

お互いの体調と近況の報告をした。セッションの数日前から、『感じようとし過ぎず、感じなさ過ぎない。』その間の領域に、自分を置こうとするはたらきが私に起きていた。アダムさんと話をするときも、意識してその領域に入っていく。カップを持つ手先が動き出す。何かを捉えている。すでに、アダムさんとの具体的な交流ははじまっていた。

セッションがより、実りあるものになる様、私には2ヶ月という期間が必要だった。その間に私に起こったことは、ていねいに家事を行うこと。『いま』を感じること。その行為が、自分の内を鎮め清めてくれた。そうして穏やかな日々を過ごしていた。私の中は静かで安定していた。

しかし、5月を迎えると突然乱れはじめる。今までは気にならなかったことに、引っかかり始める。なぜそんな状態になってしまうのか、自分でもよくわからなかった。そんなとき、
氣づきをいただいた。

『ひとりひとりが、内なる神にどれくらい一致して歩みをすすめるか。丁寧に、内を見つめ直す。捉え直す。選択肢直す。今、今こそ、それをする。』

なるほど。より微細な領域に進んでいるんだ。意識の選択。ごまかし。してない?よくみて。隠すのがとても上手だから。毎瞬の選択。それが紡がれてゆく。「どういきるの?」「いま、あなたはどこにいる?」。たとえ後悔してしまうような選択をしても、絶対に自分を責めることはしない。そんな自分に寄り添ったあとに、どうするのか、選び直すだけ。セッション当日まで、講座や秘儀を通して歩んできた道を、より深めていく日々だった。

ホテルに着くと、これまで私が生きてきた過程を話す機会をいただいた。3人兄妹の真ん中で、私だけ愛されていないと思っていたこと。大好きだった人や土地から、父の転勤で突然離れなければならなかったこと。大切なものが突然失われる。その体験は私に深い傷を与えた。新しい土地に馴染むために、外に合わせ、自分を殺して生きる日々。父と母は喧嘩が絶えず頼れない。学校の先生も私には歪んで見えた。頼れるものがなにひとつない。10代20代は真っ暗闇なトンネルの中。誰も何も信用できない。信頼できるのもはなにもなかった。自分も他人も。辛さが過ぎて、生きているのか死んでいるのか、もうわからなかった。だけど、自分で死のうと思ったことは一度もなかった。暗闇の中にいても、わずかでもそこから光を見つけようと、わたしはもがいてきた。

よく周りに流されて。でも流されても、そこにある、わずかな、ほんとうにわずかな違和感に気づいてしまうと、流され続けることはできない。流されていた方が、よっぽど楽なのに、わたしは『ほんとうのしあわせ』を血泥まみれになりながら探し続けてきた。

28歳になり手放した。8年間付き合った男。安定した仕事。そして私は直感で行きたい場所を巡った。その間に人生の鍵となる出会いがあった。沖縄北部。現在のパートナー。精神世界へ道。大いなる意志の声。その間に風俗の仕事もした。働いたのは高級店。出会う人は地位もお金もある。それがあれば幸せになれると、人々が追い求めるものを持っているのに、彼らは満たされていなかった。でも、なにが満たされていないのか、本人たちもわかっていなかった。彼らは肉欲的な男女の関わりではなく、もっと奥深いものを求めていた。可能な限り彼らの本質が解放されるように、私は彼らを愛撫した。

『解放』このワードがこの仕事に対して、私を突き動かすものだった。仕事を通して夫と出会い。夫が妻子ある中で、妊娠し出産した。なぜ惹かれるのか自分でも不思議だった。わかるのは彼の本質が好きだということ。奥様が探偵を雇い、私の風俗時代の写真を実家や友人へばら撒いた。お腹に宿ったいのちへの危険。恐怖と不安と隣り合わせの日々。でもそこで氣がつく。罪悪感なく風俗の仕事をしていたけれど、身近な大切な人に、さらけ出せるまでには至れていなかったということ。性を扱うことを、どうせ理解してもらえないだろうと、鼻から諦めていた自分がいたこと。この体験で、私はより性に開かれ、エヴァの世界へ導かれることになったと感じる。

私の人生を振り返り、アダムさんは言った。「自由で人生楽しんでるね〜」。「もうほんっとにたのしかった〜!!!」という言葉と共に、私のからだ深くから、よろこびが溢れるのを感じた。私はすべてを楽しんだ。そして赦した。気持ちよく解き放たれたところで、浄化のワークがはじまった。

第1チャクラ。
ライトランゲージがでる。特に視える聞こえるはない。ライトランゲージは、最近の秘儀ではよく出ていた。このときのものは、アダムさんから発されるものと共鳴していて、セッションという感じだった。そして突然「はははは〜」っと、大きな声で笑い出した。笑い声は止まることなく溢れ続けた。理由なく楽しいー!根っこから楽しい!!とにかく楽しい〜!!!という感覚。浄化が終わった後も、『たのしさ』はからだ中に広がっていた。幸せな気分で満ち満ちた。「楽しい〜楽しい〜」と思わず口からでてしまう。細胞全てから『たのしさ』が発されている感覚だった。普段はそんなに笑うタイプではない。というと、「でもこれが本質なんだろうね。第一チャクラは根元だからね」。アダムさんにそう言われて、「そう‥!そうそうそうそう!!これが私の本質なの!わかってくれてうれしい!みつけてくれてうれしい!!!」ずっと隠されていた『わたし』がそう叫んだ。なんて愛おしいんだろう‥。『わたし』を感じながらそう思った。

第2チャクラ。
負の感情の浄化。アダムさんから発されるものは、とても苦しそうで、哀しみも感じられた。私自身は特に嫌な感覚はなく、第1チャクラでの『たのしさ』の余韻もあってなのか、それに同調しなかった。アダムさんから発されるものに対し、「そこまで苦しまなくても大丈夫だよ。」と思う、私がいた。蛇がいた。白い蛇。そしてそれは赤い蛇に変わった。「シャ〜ッ」と舌を出して怒っているようだった。『蛇』はよくないものだと、そのときは捉えたけれど、調べてみると(ネットですが。)そんなこともないのかもしれない。『白い蛇は縁起がよい。赤い蛇は、とてもエネルギーが強い。我が強いので、エネルギーのコントロール力が必要。』確かに、私は我が強く、コントロール欲が強い。そのおかげで、辛くなる状況を自ら生み出してきた経験がある。この蛇と仲良くなることが、活躍していく上で、必要なことだと感じた。

第3チャクラ。
ライトランゲージが溢れ出る。それと連動して手先が動き始める。最初の段階は苦しく、のけぞる様に、みぞおちが持ち上がる。口から何かが吐き出ていった。ライトランゲージで楽しそうに、アダムさんに話しかける場面もあった。ワークが終わっても、ライトランゲージはなかなか止まらなかった。アダムさんと感想をシェアしているときも、途中でライトランゲージが出てきて、『とにかく喋りたい!』という感じだった。ここの段階で、より高次元に開通したのだと思う。ライトランゲージは1種類ではなく、複数のように感じた。秘儀のときよりも、鮮明なライトランゲージだった。

第4チャクラ。
ここはとても楽しんだ場所だった。一定の低めの音程をもった音が、アダムさんの口から発された。アダムさんが咳き込んで、何かを吐き出した後すぐ、私は笑い出した。アダムさんから出る音が、一定の音から、お経のようなものに変わる。徐々に音域が上がっていく。音域が上がっていくにつれて、私のライトランゲージも伸びやかに広がる。アダムさんの音が途切れて、次の音が発されようとすると、『ふふふっ。まだやるの〜?』と、セッションできることに対し、これ以上のよろこびはない。いうという感じで、私から音が発されていった。このあたりから、自分と他のもの(と思い込んでいる)との境界線が曖昧になってきていた。『知沙季』が楽しんでいるのだけど、いつも認識している『知沙季』ではなくて、
もっともっと大きなわたし。大きくて深い『わたし』がよろこんでいた。ワークの中で、面白いやりとりが内側で起きていた。アダムさんとのセッションが楽しくて、気分が高揚していた。その時、私の内に感じられたエネルギーの質は、幼い子供のような無邪気さがあるものだった。全力で楽しんでいる中で、無邪気さが過ぎてしまうことが時々あって、そこへ「出過ぎだよ。行き過ぎだよ。」と、民族の長老のような質のエネルギーがやってきて、その無邪気なエネルギーを、たしなめているような場面があった。もちろんその行為には愛が伴っている。この一連の出来事が起こっている時に、『知沙季』が感じていたのは、感じる方に、行き過ぎてしまっている感覚だった。最近の日常で意識していた、感じすぎず。感じなさすぎない。『その間の領域』からずれていた。なので意識的に、真ん中の領域へもっていくことをした。そうすると、アダムさんから発されるものとの調和がとれて、よいバランスになったと感じた。感じ過ぎているときに共にあったのは、『幼い子供のようなエネルギー』。真ん中の領域が『民族の長老のエネルギー』。この『民族の長老のエネルギー』がアダムさんとのセッションの大部分を楽しんだ。そしてそれは、「アダムさん癒せるよ〜。」と言っていた。知沙季はそれを聞いて、「何を大それたことを言ってるの?!」と慌てた。でも、その「癒せる」という思いは、淀みがなく純粋なもの。その純粋な感覚をジャッジメントするのは、知沙季のエゴ。知沙季のエゴが、全体性から自らを切り離している。『分離』は自らが起こしている。それを体感した出来事だった。

第5チャクラ。
ここはとても苦しかった。これまでのチャクラは、どれも『たのしさ』から始まっていた。でもここは苦しみからのはじまり。重低音のお経のようなものが、アダムさんから発される。苦しそうに、唸るように、時々何かを吐き出しながら、ライトランゲージがでる。はじめは怒りの要素が強い。怒り。憤り。嘆き。感情はグラデーションを伴いながら、ゆっくりと変化していった。

以下はワーク中に視え感じたもの。苦しみ。恨み。男の恨み。男は不条理な死を迎えた。苦しみ。恨み。それが彼のからだ全身を包み込み、彼のからだを支配していった。重く気だるく、どんどんどんどん身動きがとれなくなってゆく。『苦しい。苦しい。なぜ私が。』闇の世界が広がった。そこに空間はなく身動きひとつとれない。彼の姿もみえなくなった。恨みは閉じ込められている。女のエネルギーが必要。

ワークが終わってからも、浄化は続いた。負の感情を解き放つような、昇華させようとするようなものだった。負の感情とわたしは癒着していなかった。そこからとても引いた場所で、彼とその状況を捉えていた。確かに、それらは私の中にある。でも過去生のものという感覚はない。いま思うのは、私は多くの男性のペニスを口に含んできた。口で精子を受け止めてきた。もしかしたら、それが関係しているのかもしれない。解放したい。助けてあげたい。そんな私のエゴが、彼らの意識を昇華させられないで、留めてしまっているのかもしれない。ただ、いまこの時の音声を聞くと、この浄化のワークをとても美しいと感じる。そこに慈悲を感じるから。

男は苦しい。閉じ込められている。女のエネルギーが必要。調和が生まれる。調和はハートの領域でおこる。素直な男性性エネルギーは閉じ込められている。それを解放できるのは素直な女性性のエネルギー。理性での愛ではなく。こころからの愛でそれはおこる。

第6チャクラ。
高音域の世界。音と共に、腕も動いた。ここでの腕の動きは、最近の秘儀でよく現れていた。手先がエネルギーを操るように動きながら、腕が前方や上方に伸びていく動き。浄化が終わり、アダムさんに声をかけられても、ライトランゲージが止まらず、会話ができるまでに時間がかかった。ここワークでは、サポートしてくれる存在を明確に感じた。

ワークの始めの方は、私のからだの中心の筒を、『通す』ことを熱心にしてくれた。そして私の頭の中を、『真空』にするとも言っていた。真空にして、通すと、「まぁでも、今日はこれくらいかな。」と言っていた。最後にスキャニングしながら、私の全身をクリアニングしていった。

このあたりから、感覚的な意識状態がより優位になる。アダムさんに感想をシェアするときも、いつもの『知沙季』ではなく、拡大した意識の『わたし』だった。『わたし』は、白くて黄色くて、粒子がとても細かいエネルギーだった。

会陰からのエネルギー注入。
ワークがはじまってすぐに、黄金の道が見えた。まっすぐな黄金の道。ながい道。「でもいろんなものとも、繋がりやすいから気をつけてね」と言っていた。アダム徳永さんは大丈夫だと言っていた。

過去性の浄化。
ありがとう。全部ありがとう。という感覚と共にはじまった。からだから色んなものが浮き出てく。浮いた物が上空でひとつになる。『わたし』の手がそれをやさしく包む。すると水の精霊、水の女神アフロディーテがやってきて、とても美しく妖艶に舞っていく。腕と手先が波のように動く。お水がすべてを清めてくれる。妖艶に舞いながら官能していった。右手で第1チャクラを包み込み、左手で第6チャクラを覆う。腰を振り、声をあげながら、どんどん官能は高まっていった。官能は、生命としての悦びのあらわれ。
すべてを感じる。すべてを慈しむ。全てを慈しむと、そこに大きな太陽があらわれる。大きな太陽はどんどんどんどん大きくなっていく。手では抱えきれないほど、大きくなっていく。それはわたしの後ろの領域まで広がる。すると「すべてはひとつなるもの」ということばが生まれた。すべてはひとつなるものだから、私が浄化されることは、みんなの浄化にもつながる。

ここから、更に感覚的な領域に入っていった。感覚的に言葉を受け取る領域。感覚的に捉えたものに適した日本語を探し出し、当てはめていく感覚。私はまだそれが上手にできない。日本語に落とし込むとそれは狭すぎて、伝えたいことのどれだけの、エッセンスが残っているのか‥。あまりにも違いすぎると感じた。

黄金のシールド
どのワークも愛おしくタカラモノだけれど、ここはもう一段と素晴らしかった。美しく妖艶で官能的。清らかで爽やか。そんな体験だった。アダムさんから発されるものと、私から発されるもののハーモニーは、ここが特に美しいと感じる。歌いながら腕が上方に伸びて、手の平でやさしく優しく愛でるように、何かをこねだした。こねているものは、どんどん拡大していって、わたしの後ろの領域まで広がった。それはとても大きな球体のようなもの。氣がつくと、手足から白い線が伸びていた。何かすごく大きなものに繋がった感覚が私の中に生まれていた。白い線を通して、わたしと球体は繋がっていた。球体に私は抱きついている。その球体の中にわたしは入り込んでいった。球体の中に入っていくビジョンを視ていたとき、実際に膣の中に何かが入ってきた感覚があった。官能し、それは昇っていった。この球体が何なのか、わからなかった。とにかく、ものすごく大きいということを感じた。アダムさんとワークのシェアを始めると、「愛のエネルギーを降ろす」という感覚が降りてきた。「誰が降ろすのか?」アダムさんが質問をしてくださる。それはみんな。みんなが愛のエネルギーを降ろす。

アダムさんが、質問を投げかけてくださる。「アダム徳永さんってどんな人?」アダム徳永さんは救世主。大きいね。惑星。彼は人間ではないね。惑星のひとつ。アダム徳永という人間から、イメージの世界へ入り、どんどん沈み込んでいく。白い球体がみえてくる。その球体は、たくさんの白い光のスポットライトで照らされている。それは色んなところからの応援の存在達。数え切れないほどだった。これは、多種多様な生命体や星々と、繋がりがある存在だからだと感じた。球体は、粒子がとても細かい。球体はすごく光っている。動いている。生きもの。応援するものたちの、さらに周りを、とても美しいオーロラ色の光が包み込んでいた。この球体は、それに大切に守られていた。オーロラ色は左回りに回りながら、全体に愛のエネルギーを送っていた。この球体は大きくなる。そう感じた。この少し後に、「アダム徳永さんってどんなひと?」という質問を再度された。とても豊かな人。澱みがない。白い緑のエネルギー。オーロラ、エメレルド色。複雑なエネルギー。でもアダム徳永はそこにはいない。とても動的。何かに引っ張られている。彼が頼りにしている親みたいな存在がいる。親みたいなエネルギーはとてもあたたかく偉大。彼とそのエネルギーは共にある。無限。双方にエネルギーを送り合っている。だから拡大していく。

浄化のセッションが終わっても、すぐには起き上がれなかった。アダム先生がお風呂へ向かいながら、歌う鼻歌に共鳴するように、私もライトランゲージで歌いはじめた。歌い始めると、第一チャクラに青い蓮の花が咲いて、エネルギーが昇っていった。腕が天井に向かって上がっていき、私はまた何かを捏ねはじめた。捏ねたものは、大きくなっていった。起き上がりシャワーへいく途中に、「子育てが楽になるよ。」ときこえる。確かにセッション後から、以前より、子供との意思疎通が楽になった。子供の言葉にできない感覚を、キャッチしてあげられるので、頭を悩ませることがなくなった。もし頭を悩ませたときは、私が重たい波動域になっているというサインで、無駄に悩むこともしなくなった。子供も深い安心の中にいるように思う。

PageTop